藤原良相

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ふじわらの よしみ


画題

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解説

前賢故実

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冬嗣の子。若くして大学で学び、器量が大きく、才気に溢れ弁舌であった。正二位、右大臣兼右近衛大将にまで累進。晩年、「陛下に厭われずお仕えできたご恩を蒙って、子弟や親族がみな官爵を拝し朝廷から金品を頂き、不自由なことがなかった。なお、現在臣は大将を兼任しているので、賜与された千戸の封戸は、臣にとっては多すぎて、その半分を朝廷に奉還させて頂きたいと願っている。非常に小さなものだが、国用の補いになるのを望んでいる。それすると、穀物の取りすぎとして詩人に批判されることもなく、謙虚によって鬼神が子孫に福を与えることが喜ばしい。」と上奏した。貞観九年、病に倒れ薨去、享年五十七歳。西三条大臣と呼ばれていた。良相は在職中、職務に励み、困難に立向かい多くの民を救うことを目指していた。当時、鷹を使った禽獣の捕獲が自然を弱めたので、良相はこれを禁止にした。すると、民は山、川、藪、沢がもたらす利益を共有できるようになった。良相は文学の士をも大切にしていた。貧しい学生がいれば、絹や綿の布を贈物にした。冬になると、たくさんの服や布団を作って、夜の四学堂で宿泊する者に与えた。

としへたる ふるきうきぎを 捨てねばぞ さやけきひかり とほく聞ゆる

(『前賢故実』)