藤原緒嗣

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ふじわらの おつぐ


画題

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解説

前賢故実

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式部卿百川の子。延暦七年、勅命により殿上ではじめて冠をつけられ、帝の使っていた幞頭を賜った。正六位上を叙せられ、内舎人になった。帝は緒嗣に剣を賜与、「これは汝の父親が献上した剣だ。朕は、汝の父親が書いてくれた寿詞を心に留めており、忘れたことがなかった。今でも思い出すと涙が出る。今日、この剣を汝に賜与し、失ってはいけない。」と仰った。すぐに百五十戸の封戸を賜った。参議にまで累進したとき、さらに百戸の封戸を賜った。緒嗣は政事について菅野真道と論争したことがあり、緒嗣の主張が毎回帝に採用されていた。その後、從二位を叙せられ、皇太子傅を兼任した。淳和天皇が大嘗祭をしようとしたとき、緒嗣は過度な装飾を止め弊害を生じさせないようと朝廷に奏請しところ、帝は緒嗣の上奏を聞入れ、行過ぎた事について調べて正した。緒嗣は、天長二年に右大臣になり、同九年左大臣へ転じ、正二位に昇進した。弘仁以降、十回ほど上表して辞職を願ったが、何れも認めてもらえなかった。承和十年、何度も致仕を願う上書を朝廷に出したが、認められる前に薨去、享年七十歳。山本大臣と呼ばれていた。緒嗣は、政治方略に長け、無為の治に基づいて庶務を処理していた。国の利害に関ることであれば、必ず自分の考え方を奏上することにした。曽て新撰姓氏録および日本後記を編纂したことがある。

嵯峨天皇御製(左金吾将軍藤原緒嗣が詠んだ「交野離宮感旧」に唱和した漢詩)

追想昔時過旧館(昔旧館を訪ねたことを思い出して) 凄涼涙下忽霑襟(寂しくなり急に涙が出て襟を濡らした) 廃村已見人煙断(荒廃の村がすでに人煙がなく) 荒院唯聞鳥雀吟(廃れ果ての庭から鳥雀の鳴き声しか聞こえてこない) 荊棘不知歌舞処(いばらが生い茂る中、昔歌舞をしていたところがわからず) 薜蘿独向恋情深(かずらが蔓延し昔のことをしみじみと恋慕っている) 看花故事誰能語(かつて朝廷の試験に合格した者たちと花を観賞したことがあり、そのような旧事を一緒に語る人がいなくて) 空望浮雲転傷心(空しく浮雲を見ながら傷心の気持ちになった)

(『前賢故実』)