藤原清河

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ふじわらの きよかわ


画題

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解説

前賢故実

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民部卿房前の第四子。天平勝宝元年参議になり、同二年遣唐大使に任命され、同四年に出節刀を授けられ唐へ渡った。唐の長安に入り玄宗に拝謁した。玄宗は「貴国に賢明な君主がいると聞いている。今、使者がほかの方々と違って、殿上での行儀作法の心得があるのをみて、貴国は礼儀君子国という国名に改めても宜しい。」と感心して、阿倍仲麻呂に命じて府庫や三教殿を視察する清河らの案内をさせた。玄宗はまた絵師に清河の肖像を描かせ、それを殿中に納めた。さらに、清河らが日本に帰る前に、玄宗は清河に御製詩を贈った。このとき、仲麻呂は玄宗に日本に帰りたいと奏請し、玄宗から帰国のお許しを得た。清河と仲麻呂らは同じ船で出発したが、暴風雨に遭い安南の驩州に漂着したが、土人に襲われて船員の多くが殺害されてしまった。清河と仲麻呂は長安に戻り、唐に出仕することになった。清河は河清と名を改めて、特進秘書監まで累進したが、遂に唐で亡くなった。朝廷はその訃報を聞き、彼に從二位を贈った。

玄宗御製詩

日下非殊俗(日本はとりわけ俗な国ではない) 天中嘉会朝(きみたちの唐への訪問を誉め称える) 念我懷義遠(余に朝するために、きみたちは大義を背負って遠くからきた) 矜爾畏途遥(今きみたちのことを思うと、きみたちの長い帰途を怖く感じる) 漲海寬秋月(秋月に照らされている南の海は、一層広くてゆったりとした海に見える) 帰帆駛夕颷(夕方の強い風の中で帆が孕ませ、船は帰途に急ぐ) 因驚彼君子(ここにおいて、きみたちの君主に驚かされた) 王化遠昭昭(その王化は遠くまで明るく輝いている)

清河が渡唐の日に梅花を鑑賞して詠んだ歌

かすがのに いつくみもろの うめのはな さかえてありまて かへりくるまで

(『前賢故実』)