藤原実頼

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ふじわらの さねより


画題

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解説

前賢故実

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太政大臣忠平の長男。温厚な性格を持ち、上品で慎みがあった。初めは阿波権守を務め、のち左大臣兼皇太子傅にまで累進、正二位を叙せられた。康保四年、村上天皇の崩御に伴い、皇太子が即位することとなった。ただ、病のある皇太子は、大極殿に行けないので、実頼の建議により紫宸殿で冷泉天皇として即位した。時の人は実頼の卓識を誉め称えていた。冷泉天皇の寵愛を受けて厚く礼遇され、手車の乗用で宮門を出入りすることが許された。さらに、節会のある日は、順番を待つことなく、直接に宮殿に入れた。実頼は太政大臣を拝し、從一位を叙せられた。安和二年、円融天皇が幼くして即位すると、実頼は摂政に任ぜられた。天禄元年薨去、享年七十一歳。哀悼の意を表そうとした人々は、貴賎を問わず実頼の邸宅の門前に集まって慟哭したという。正一位を贈られ、尾張公に封ぜられ、清慎という諡を賜った。世間では小野宮と呼ばれていた。実頼は朝廷の政治制度に精通して、世の模範とされていた。

松もひき わかなもつまづ なりぬるを いつしかさくら はやもさかなむ

(『前賢故実』)