藤原仲成

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平安初期の政治家。天平宝字(てんぴょうほうじ)8年生まれ。藤原種継の長男。母は粟田道麻呂の娘。

大同(だいどう)4年従四位下で北陸道観察使,翌年参議。

妹の薬子(くすこ)が平城(へいぜい)天皇に寵愛(ちょうあい)されたことから薬子とともに政治を左右した。

しかしその後天皇は譲位し弟の嵯峨(さが)天皇が即位すると両者は対立し、ふたたび平城の即位を謀った仲成・薬子らは上皇とともに平城(へいじょう)の古都へ移り、平城への遷都を強行しようとした。 いわゆる「薬子の変」が発覚し嵯峨(さが)天皇側に大同5 年(810年)9月10日捕えられ、同年9月11日首謀者として射殺された。47歳。


<参考文献>

『国史大辞典』 吉川圭三 吉川弘文社

『日本人名大辞典』 上田正昭 2001.12 講談社

『日本大百科全書』 小学館1984