薬山李翺會

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やくざんりこうぜんかい


画題

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解説

画題辞典

支那禮州薬山の禪僧惟儼と、郎州の刺史李翺との禪會をいふ、惟儼、経州の人、年十七にして潮陽の慧照に参じ。次いで衡嶽の希操に戒品を受けたり、已にして主旨を領し、禮州の薬山に住せるに、學徒の來りて道を問ふもの益々多し、此時郎州の刺史に李翺あり,韓退之に就きて學び、好文を以て知られたる人なり。深く惟儼の接化に歸依し、屢々之を請じたれども、惟儼起たざりしを以て、遂に自ら來りて参じたりといふ、禪會は是なり、唐文宗大和八年二月、惟儼大声して曰く、法堂倒ると、學徒皆起つて法堂の柱を撐へたるに、惟儼、汝等我意を解せずと叫びて円寂せりといふ、年八十四也、薬山李翺禪會は屢々画家の好題目たり、宋の馬公顯が画く所著色絹本一幅ほ京都南禅寺所蔵にして国寶たり。続いては啓書記及狩野元信等の画く所あり。尚薬山長嘯李翺問道の各條参照すべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)