薪能

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

たきゞののう


画題

画像(Open)


解説

画題辞典

南都春日の神事、二月七日より十三日まで七日間、興福寺南大門前の芝生にて猿楽を催し、四座の衆之に奉仕す、一日三番、半にして暮に及び、且つ時春寒の故を以て篝を焚いて舞をなす、之を薪能という。

薪能絵屏風(井伊伯爵所蔵)大正震災亡失、薪能図(和田万吉氏所蔵)

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

奈良の興福寺門前及び春日神社の摂社春日若宮で陰暦二月七日から十日まで行ふ能楽、一に芝能とも称す、七日の夜から興福寺前の芝生で催すからである。当夜先づ堂前に篝を焚き能三番を催す、金春、宝生、金剛、観世の四座が二座づつ交替して之を勤める、八日の儀も亦同じ、次で九日に至り若宮で行ふ、七日に興福寺で勤めた二座のもの九日に至り衆徒に告げ若宮の前で行ふ、十日は又他の二座之に代る。薪能は俗説に、昔猿沢の池に土穴生じ風煙立ち騰つて此の毒気に触るゝもの多く、依つて薪を焚き之を鎮めたが起原といひ、又古く、此寺では修二月会と称へて一七日の間国家安泰の修法を行ふが、夜中の法会とて火を焚いて暖を取り、その光に歌舞など余興として演じたのが恒例となつたものといふ、足利初期に修法は廃せられ能の余興のみ残り徳川時代に至つたが今は全く廃れてしまつた。  (俳諧歳時記)

井伊家にこれを画いた屏風があつたが、大正の震災で烏有に帰した。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)