菖蒲前

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あやめのまえ


画題

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解説

東洋画題綜覧

鳥羽院の宮女、源三位頼政の和歌の徳により頼政に賜はりし美女、げんざんみよりまさ「源三位頼政」を見よ。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)


鳥羽院御中に、菖蒲前とて世に勝たる美人あり、心の色深くて形人に越たりければ君の御糸惜も類なかりけり、雲客卿相始は艶書を遣し情を係事隙なかりけれ共、心に任せぬ我身なれば一筆の返事何方へもせで過しける程に、或時頼政菖蒲を一目見て後は、いつも其時の心地して忘るゝ事なかりければ常に文を遣しけれども、一筆一詞の返事もせず頼政こりずまゝに、又遺し/\なんどする程に年も三年に成にけり、何にして漏たりけん、此由を聞食に依て、君菖蒲を御前に召、実や頼政が申言の積なると綸言ありければ菖蒲顔打あかめて御返事詳ならず、頼政を召て御尋あらばやとて、御使有て召れけり、比は五月の五日の片夕暮許也、頼政は木賊色の狩衣に声華に引繕て参上、縫殿の正見〈むかひ〉の板に畏て候ず、院は良遥許〈しばらく〉して御出ありけるが、じつはふ者には物仰にくければとて殊に咲を含ませ御座〈おはします〉、何事を被仰出ずるやらんと思ふ処に誠か頼政菖蒲を忍申なるはと御諚あり、頼政は大に失色恐畏て候けり、院は憚思ふにこそ、勅諚の御返事は遅かるらめ、但菖蒲をば誰彼〈たそかれ〉時の虚目歟〈そらめか〉、又立舞袖の追風を徐〈また〉ながらこそ慕ふらめ、何かは近附き其験をも弁〈わきまふ〉ベき、一目見たりし頼政が眼精を見ばやとぞ思食ける、菖蒲が歳長色貌少も替ぬ女二人に菖蒲を具して三人同じ装束同重になり見すまさせて被出たり、三人頼政が前に列居たり、梁の鸞の並べるが如く窓の梅の綻たるに似たり、頼政よ其中に忍申す菖蒲侍る也、朕占思召女也、有御免ぞ相具して罷出よと有綸言ければ、頼政いとゞ失色額を大地に附て実に畏入たり、思けるは十善の君はかりなく被思食女を、凡人争〈いか〉でか申よりべかりける、其上縦雲の上に時々なると云とも、愚なる眼精及なんや、増てよそながらほの見たりし貌也、何を験何〈しるし〉なるらん共不覚蒙綸言不賜も尾籠也、見紛つつよその袂を引きたらんもをかしかるべし、当座の恥のみに非、累代の名を下し果ん事、心憂かるべきにこそと、歎入たる景気顕〈あらは〉也ければ、重て勅諚に、菖蒲は誠に侍るなり、疾〈とく〉給て出よとぞ被仰下ける、御諚終らざりける前に、搔繕て頼政かく仕る。

五月雨に沼の石垣水こえて何かあやめ引ぞわづらふ

と申したりけるにこそ、御感の余に竜眼より御涙を流させ給ながら御座を立たせ給て、女の手を御手に取て引立おしまし、是こそ菖蒲よ疾く汝に給也とて頼攻に授させ給けり、是を賜ひて相具して仙洞を罷出ければ、上下男女歌の道を嗜まん者尤かくこそ徳を顕すベけれと各感涙を流けり、実に頼政と菖蒲とが志水魚の如くにして無二の心中也けり、三年の程ながく思し情の積にやと、やさしかりし事共也ければ、京童部申けるは二人の志わりなかりけるこそ理なれ、媒が痛見苦もなければとぞ咲ひける。伊豆守仲綱は即彼菖蒲が腹の子也。  (源平盛衰記第十六)

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)