菊池容斎

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天明8年(1788)~明治11年(1878)。日本画家

幕臣で御徒務めをしていた河原武吉の子として江戸に生まれ、同じく手先与力として務めた伯父・菊池武長の跡を継いで菊池姓となる。通称は量平。菊池家の先祖とされている南北朝期の武将菊池武時は、後醍醐天皇による倒幕に応じて九州で挙兵したが敗死したと伝える武将。文化2年(1805)、狩野派の流れを汲む絵師高田円乗に入門。円乗は谷文晁の師として知られる加藤文麗の弟子でもあるとも、木挽町狩野家代7代狩野養川院惟信の門人ともされている。 容斎の画論「画意十五則」の中にある「画もと法なく又流れなし」とする流派否定論は、円乗の教えによるものとされている。また、「容斎画意」には「夫画は人を画には人を師とし、山水を画には山水を師とし、禽獣草木を画には禽獣草木を師とす」とあり、実物に即した作画姿勢が窺われる。 さらに容斎没後の明治11年に建てられた「菊池容斎之碑」には、歴史画制作について「古人を描くのであれば、まず当時の衣服や器物、宮中のしきたりなどを知らなければならないのだ」と記される。こうした故実研究の成果が如実に表されているのが、『前賢故実』全10巻である。