菅原淳茂

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すがわらの あつしげ


画題

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解説

前賢故実

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太政大臣を贈られた道真の子。博識で機知と文才に富み、父の遺風を継いでいた。「儒家の名門という家声を継承できるのは、都在中及び菅淳茂らだけだ。」と大江匡房が言っていた。淳茂は秀才に合格、対策に及第、文章博士となった。大学頭、右中辨を歴任、式部権大輔を務め、正五位下を叙せられた。宇多法皇が中秋の時に文人を亭子院に呼寄せ、詩歌を詠ませたことがあり、その場で淳茂がすらすらと序を書上げ、新味のある美しい文章であった。これを誦しながら法皇は「これを亡くなった汝の父上に見せることができないから悔しいだ」と歎いた。渤海国の貢使の裴璆が来朝した際、淳茂は掌客使として接待に携わった。昔、裴璆の父頲が来朝した時に、淳茂の父道真と詩文の唱和をしたことがある。今度は淳茂と璆も数回の唱和をした。先代の時のことに言及し、璆は先代の詩文を読んで感涙を流した。日本で両家の二代目が出逢えて、奇縁だと世の人々に思われた。

初逢渤海裴大使有感吟(初めて渤海の裴大使に逢い、感慨を覚えて詩を吟じた)

思古感今友道親(懐古しながら今日の事を考え、友好が保たれてきたことに感慨を覚え) 鴻臚館裏□余塵(鴻臚館の中で先代の志が受継がれた) 裴文籍後聞君久(裴文籍が帰国した後、君の名は長い間承っている) 菅礼部孤見我新(菅礼部を亡くしたわたくしは、君にとっては新しい人に見える) 年歯再推同甲子(年月が流れ子息のわたしたちが出逢うことになり) 風情三賞旧佳辰(風情なことに何度も先代たちが経験した良い一時を楽しんだ) 両家交態皆人賀(両家の交流はみんなに祝賀されているが) 自愧才名甚不倫(文才や名声において不相応なわたくしは恥ずかしく思っている)

(『前賢故実』)