茨木童子の受容と変遷

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総合

『平家物語』での登場

「平家物語」劔巻

源頼光の四天王の一人渡辺綱が頼光に一条大宮へ行く用を頼まれた。夜に馬を走らせ、一条堀川の戻橋を渡った時、二十歳ほどで肌が雪のように美しい女に出会った。紅梅の打衣(上着)に帯を掛け、お守り袋が掛かっており、衣の袖の先に経持って、誰もお供のものはいなくて、ひとりで南に向かっていた。綱は、「夜も更けて怖ろしいでしょうから送りましょう」と言って女を抱えて馬に乗せた。家まで送ってほしいというという女の申し出に綱が承知した次の瞬間、女はもの怖ろしげな鬼に成って、「さあ、わたしの行くところは愛宕山(天狗、鬼神が住んだと伝えられている)だ」と言い、綱の髻を掴み飛んだ。綱は少しも動じず、浮遊しながら鬚切という名の刀を抜き、鬼の腕ごと切ってしまった。綱は北の天満宮に落下し、鬼は手を切られながらも愛宕山に飛んでいった。はじめ女の腕を見たときは雪のような肌だと思ったが、その切った腕を見ると色黒くて土のようで、太くて白い毛が隙間なく生えて銀の針を立てているかのようにチクチクしている。この腕を頼光のもとに持って参ると、頼光は大いに驚いて陰陽師安倍晴明を呼んだ。陰陽師は綱に、「鬼が腕を取り戻しにくるので、七日間は物忌みをし誰にも会わず、仁王経を講読しなさい」と申しつけた。そうして、六日経った黄昏時に、養母である伯母が尋ねてきた。綱は、「物忌み中なので明日なら入れます」と言ったが、伯母はさめざめと泣いて、「情けない。幼い頃は夜も寝ずに貴方を育て、いつしか立派に仕事をし、ずっと会いたいと恋しく思っていたのにこんな仕打ちはひどい」などといわれ、綱は誠にそのとおりだと思い、門を開けた。伯母がどうして物忌みをしているのか尋ねたので事情を説明した。伯母はその鬼の腕を見たいと言い、綱は明日なら構わないと言ったが、また道理を説き伏せられ、封じていた鬼の手を伯母の前に取り出して見せた。伯母はそれをよく見て、「これは私の手だから取って行くぞ」と言って怖ろしい鬼の姿になって飛び出していった。綱は鬼の腕を切った刀を後、「鬼丸」と名づけた。  (『完訳日本の古典 平家物語』の巻末の一部から梗概を制作)

但し、ここに登場する鬼は“茨木童子”という名ではなく、全く別の鬼である。


『前太平記』での登場

「前太平記」巻第十七

「洛中妖怪事渡辺綱斬捕鬼手事」という章に『平家物語 劔巻』と同じ記述がある。多少の記述の違いはあれど、概ね『平家物語』のと同じ内容。ここで登場する鬼も“茨木童子”という名ではないが、安倍晴明が“宇治橋の鬼女”という鬼であると判断している点が『平家物語』とは異なる。 (『前太平記(上)』巻第十七の一部を参考)


「前太平記」巻第二十

「酒顛童子退治事」

冒頭:「諺に曰く、大江山の首領は酒顛が腹心の眷属、茨木と云ふ者なり。」

大江山の酒呑童子の征伐後、茨木童子は羅生門に棲みつき、人々に危害を加えていた。その噂を信じない渡辺綱は、頼光によって退治を命じられる。綱は「鬼丸」という太刀を持ち、羅生門に向かった。雷が鳴り、羅生門の天井を見ると熊のような毛の生えている長い手が綱を掴んできた。鬼と綱はしばらくやりあったが、綱が鬼の手を切り、鬼は忽ち消えうせた。頼光の命により、綱は物忌みをしたが、鬼は養母と化し、腕を取り返して破風を蹴って飛び去っていった。

“茨木”という名で登場する初め


『御伽草子』での登場

御伽草子「酒呑童子」

「茨木童子」という名の初出である。

(酒呑童子が頼光らに出生を語る場面)「それがし召し使ふ茨木童子といふ鬼を、都へ使に上せし時、七条の堀川にてかの綱に渡りあふ。茨木やがて心得えて女の姿に様変へ、綱があたりに立ち寄り、もとどりむずと取り、つかんで来んとせしところを、綱此よしと見るよりも、三尺五寸するりと抜き、茨木が片腕を水もたまらず打ち落す。やうやう武略めぐらして、腕取り返し今は子細も候はず、きやつばらがむつかしさに、われは都に行くことなし」  (『茨木童子 鬼と呼ばれた童子を追って』より引用)

源頼光と配下の四天王(渡辺綱・坂田金時・碓井貞光・卜部季武)と藤原保昌らが大江山で酒呑童子征伐をした際、茨木童子のみは渡辺綱と戦っていた。酒呑童子が討たれるのを見てこれはかなわないと退却し、茨木童子は唯一逃げるのに成功したという。


謡曲 羅生門

天文元年(1532)四月二十九日演能 大江山で酒呑童子を退治した後日談で、逃げ延びた鬼と渡邊綱が羅生門で戦い、腕を切る。鬼は戻り橋でなく羅生門の鬼女になっている。その鬼が茨木童子という記述はないようだ。 (『日本説話伝説大事典』を参考)


『摂陽群談』での登場

茨木童子出生古地 同群東留松村にあり。土俗の傳に云、往昔此所に於て、土民一子も設く。生なからにして牙生、髪長く、眼光あつて、強盛なること、成長の人に越たり。一族恐怖して、島下郡茨木村の邊に捨てけり。宇時、丹後の國千丈嶽の強盗、酒呑童子に拾れ、養育せられ、成長の後、彼が賊徒と成て、丹波國大江山の巌窟を守らしむ。其設之地名を取て、茨木童子と号く。或時、父母病て同じ枕に臥。童子大江山に有て、遙に是を知の妙術を得たり。強悪の所至、却て悲歎甚深く、終に此に來り、父母の床の邊に跪て右の次第を語る。父母暫留て、餌(ダンゴ)を輿へ喰しむ。一族猶成長の形容に怖る。童子亦云、我は今、洛陽東寺の門を住とす。再來すること難し。在世の離別是まで也と、家を出ぬ。使人亦を見しむ。本道を不行して綴道を走る事、野狐の飛か如し。追者終に其行方を失ふと也。今田圃の字と成て、安東寺と云へり、東寺に安住するの義に因興其東寺に掃去の日を以て、餌祭と号、賑祭ること今にあり。其是縁也と云へり。(『摂陽群談』巻第十 古地旧屋の部 より引用)


長唄での登場

「綱館」

『綱館之段』は、明治三年稀音屋浄海事根岸の勘五郎(前名十一代目杵屋六左衛門)の作曲にかゝるものが今日に行われてゐるが、其ずつと昔、寛保元年の七月に江戸中村座で『潤清和源氏』の二番目に『兵四阿屋造』と云ふ名題で、元祖大薩摩主膳太夫、三味線五代目杵屋喜三郎(伯母二代目市川海老蔵、渡邊綱三代目市川團十郎)が演じたのが最初で、其後世に出ないで埋もれてゐたのを、古曲の復興に熱心な根岸の勘五郎が、百二十三年後に至つて之を拾ひ出し、其詞章を少しく訂正してさらに節附をしたのが此曲である。(略)伯母實は茨木童子と綱のことを所作事にしたもので、音羽家の新古演劇十種の一つになつてゐる『茨木』がある。明治十六年四月、新富座に書きおろされたのが最初で、能がゝりになつてゐるが、地の唄の節附は『綱館之段』に負ふところが頗る多い。この『綱館』は、長唄としては筋がよく通つてゐる上に、浄瑠璃がゝつた、謡ひ所の多い唄だから、中々流行してゐる。(囃子もある。上調子も近頃出來た。)  (『長唄全集(上)』綱館 の【解説】から引用)


綱が羅生門で鬼の腕を切り、物忌みをしている部分から始まる。鬼が腕を持ち去った後にさらに敵を取ってやろうと決意する部分が加えられているようだ。鬼は腕を取り返した瞬間、自らを「茨木童子」と名乗っている。


歌舞伎での登場

「茨木」

河竹黙阿弥作 杵屋正次郎作曲 明治十六年(1883)四月新富座初演に登場するのが有名。歌舞伎舞踊。長唄。配役は茨木童子=五世尾上菊五郎、渡辺綱=初世市川左団次。明治三年杵屋勘五郎作曲の≪綱館≫に基づいて作られた松羽目物であるが、能・狂言の作品からの移入でない点が珍しい。伯母の名前が真柴となっているのはこの作品からのようだ。


現代の創作

「大阪の童話」

茨木童子は茨木の水尾村に生まれたが、親に捨てられ、床屋に拾われて、大きくなった。カミソリを手にすることが多く、切り傷をなめるくせがついて、いつしか、血の味がまちどおしくなっていた。――おかしい。と思って、小川に顔をうつしてみると、短い角が二本、生えかけておった。それからは、人が、「鬼。鬼の子。鬼子」とシカトした。若者はいたたまれなくなって、鬼が住まうという大江山に落ちのびて、酒呑童子の配下となった。その後は酒呑童子とともに京に出没することもあり、渡辺綱に羅生門(一条戻り橋とも)で片腕を切り落とされたが、女に化けて腕をとり返しにおもむいた。正伝はこう、伝えてるが、外伝は――。  (『大阪の童話』「茨木童子・外伝」奥田継夫作 から冒頭部分のみ引用。以下は作者の創作が続く)

「大阪むかしむかし」

摂津の茨木里で子宝に恵まれなかった年寄り夫婦に男の子が生まれた。生まれたときすでに三つ四つの姿をしており、ひと月もたたないうちに見上げんばかりの立派な若者に育ち、よく働いた。男もほれぼれする顔立ちで、里の娘みんな童子を見て頬をそめた。童子はその中でも、長者邸に売られた娘といつしか結ばれるようになった。童子のおかげで村はいつもの年の二倍の米を収穫することができたが、結局米も娘も長者に全て持っていかれてしまった。やがて娘が池に身を投げたということを母から聞き、人の世というものに嫌気がさし、怒りから鬼のような姿になり竜王山めがけて走っていってしまう。それから二十年山にこもり続け、背たけは二倍にもなり、つのこそないけど、すっかり鬼の姿になっていた。ある日山で丹波の百姓らに道を聞かれ、茨木の百姓も都で一揆を起こすことを知る。なつかしくなり童子は里へ走って戻り、母と父に会いに行った。里を捨てたことを責められるかと思ったが村の人は優しく、童子を歓迎してくれた。童子は百姓に戻って、一揆を起こす決意をし、都に向かって駆けていった。  (『大阪むかしむかし』「新説・茨木童子」より梗概を制作)


まとめ

・『平家物語』、『前太平記』の「洛中妖怪事渡辺綱斬捕鬼手事」において戻り橋で渡邊綱を襲った鬼は、茨木童子ではない

・『前太平記』の「酒顛童子退治事」において羅生門で綱と戦った鬼は茨木童子として描かれている

・やがて近世になって、渡邊綱と戦ったという共通点から、戻り橋の鬼話と羅生門での話が大江山の茨木童子で結び付けられるようになったと考えられる

・『羅生門』では鬼女とされているが、出生話は男の子である。



参考文献

『日本伝奇伝説大事典』 乾克己他 角川書店 1986年

『日本説話伝説大事典』 志村有弘他 勉誠出版 2000年

『大日本地誌大系 38 摂陽群談』  雄山閣 1971年 

『完訳日本の古典 平家物語』 小学館 1987年

『叢書江戸文庫3 前太平記(上)』 板垣俊一校注 1988年   『総合日本戯曲事典』河竹繁俊編 平凡社 1964年

『歌舞伎ハンドブック』藤田洋編 三省堂 2006年

『長唄全集(上)』中内蝶二(他)編 緑蔭書房 1987年

『大阪の童話』社団法人日本児童文学者協会 リブリオ出版 1999年

『大阪むかしむかし』かたおかしろう 清風堂書店 2006年

『新修茨木市史 第10巻』 茨木市史編さん委員会編 2005年

『茨木童子 鬼と呼ばれた童子を追って 』 大橋忠雄 明石書店 1992年