苅萱桑門筑紫轢

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説経節「かるかや」が原拠。享保二十年八月大阪豊竹座の人形浄瑠璃で初演。五段。並木宗輔・並木丈輔合作。

説経「かるかや」、謡曲「苅萱」などを先行作とし、女の髪が蛇と化して食い合う話を採り入れて脚色。

※説経「かるかや」では、繁氏は散る花に無常を感じて出家を思い立つとしている。


「ある時、二人の女房が碁盤を枕として頭を差しあわせて寝ていたところ、女房の髻(もとどり)が突然小さい蛇となり、鱗を立てて食い合ったのを見て、刀を抜いてまん中から切り分けた。これ以後、執心・愛念・嫉妬の恐ろしいことを思い知り、輪廻・妄業・因果の道理をわきまえ、発心して家を出て比叡山に上り、受戒して僧侶の形となった。」

引用:増淵勝一訳、「北条九代記(下)」、教育社、1979.9


人間の愛欲、野望、策略、罪業感などを鮮やかに描く豊竹座時代の並木宗輔の代表作。人形浄瑠璃では近世には通しで演じられたが、その後、文楽・歌舞伎とも、三段目「大内館」「守宮酒」、五段目「高野山」のみ上演されるようになった。



古井戸秀夫編、「歌舞伎登場人物事典」、白水社、2006年4月

服部幸雄, 富田鉄之助, 廣末保編、「歌舞伎事典」、平凡社、2000年1月

増淵勝一訳、「北条九代記(下)」、教育社、1979.9