臨春結綺望仙三閣

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りんしゆんけつきばうせんさんかく


画題

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解説

画題辞典

臨春、結綺、望仙三閣は、支那南北朝時代に、陳後主長城煬公の築きて長夜の宴に耽りし所なり、各高さ数十丈、数十間に連り沈檀を以て作り、金玉珠翠を以て装飾す、珠簾賓帳明玩瑰麗、近古に見ざる所と称せらる、閣下には石を積みて山となし、水を引きて池となし、花卉を移植す、陳主臨春閣に居り、貴妃帳麗花は結綺閣に居り、龔孔の二貴妃は望仙閣に居り、復道より往來すといふ、和漢之れが図少しとせず。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那南北朝時代陳の後主長城煬公は太子の時代から長夜の飲をなし位に即いて幾何もないのに、臨春、結綺、望仙の三閣を起し、その下に石を積んで山を造り、水を引いて池となし、花卉を栽ゑ、陳主自ら臨春閣に居り、張貴妃は結綺閣に龔孔二貴嬪は望仙閣に居り複道よりして往来し、宮人袁大捨を以て女学士とし、文人十余人後庭に侍宴しこれを狎客といひ、共に詩文に興じ豪奢を恣にした、『玉樹後庭花』や『臨春楽』等は即ち陳の後主の作る処、その豪奢のさま屡々画かるゝ処である。

ぎょくじゅこうていか「玉樹後庭花」参照。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)