能(道成寺)

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総合

●「道成寺」<天文23年(1554年)初演>

 観世小次郎信光の廃曲「鐘巻」を改作したものだが、作者は不明。これが歌舞伎舞踊などの一連の道成寺物へと発展する。

 <梗概> 

 紀州道成寺の新しい鐘が完成したので、その供養を行うこととなった。男達が新しい鐘を引っ張り上げていたそこに一人の白拍子がやってくる。このあたりに住むという白拍子は鐘を拝ませてほしいと頼み、期間中は女人禁制と命じられていたにも関わらず男はそっと拝ませてやるので舞を舞うようにいう。烏帽子を着て舞を舞っていた白拍子だったが、しばらくすると舞い狂い始め、鐘への執心をあらわにし、鐘の中に姿を消してしまう。地響がしたので男達が駆け寄ってみるとしっかりと吊り上げたはずの鐘が落ちていて、鐘は煮えたぎり熱くなっていた。(ここから語りの昔話が入る)昔まなごに庄司という人物がいて、その庄司の家を宿と定めて一人の山伏が熊野へと通っていた。庄司は一人娘を寵愛するあまりに客層(山伏)こそがお前の夫だと戯れに言っていたのを、娘は幼心に真実と思い育つ。ある時、同じように庄司の家で宿をとった山伏の元に夜忍びこみ、娘は早く自分を連れて帰ってほしいと言う。驚いた山伏は朝になってから語ろうといって娘を退かせ、静まったところで夜中に逃げ出して寺へと入っていく。山伏が逃げたと知った娘は憤怒して追いかけ、水嵩が増して誰も渡っていない日高川へ毒蛇となって飛び込み、泳いで渡りきる。寺へ辿り着き、鐘が下りているのを不審に思った毒蛇は竜頭を銜えて七巻まいて尾でたたいた。すると鐘は湯の様に熱くなって山伏を殺してしまった。(語りが終わり)住僧たちが祈り、その祈りによって鐘が上がると鬼女が現れる。闘争の末に、数珠で強く打ち据えられた鬼女は崩れ落ち、鐘を見上げたのちに走り去っていく。





<参考文献>

・『日本古典文学大系41 謡曲集下』、岩波書店、1963年2月5日