能の観客

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総合

演者と鑑賞者によって成り立つ能

「能とは、古典芸能・古典演劇の一つで、能楽師のうがくしと呼ばれる演者が舞台上で表現するものである」。能についてのこの説明は、間違いではない。けれども、能が舞台芸能であり、一種の演劇であるからには、それは演者だけで成り立つものではなく、鑑賞者がいてはじめて成立する。その点を重視すれば、能とは、〝能楽師と呼ばれる演者(または素人の演者)が舞台上で表現し、それを観客が鑑賞する芸能(演劇)〟ということになる。つまり能は、演者と鑑賞者との関係性によって成り立つとも言えるのである。たとえば小説であれば、自分以外の特定の現実的な読者が想定されなくても執筆は可能であるが、能を演者が自分以外の特定の鑑賞者のいない舞台で演じることは、稽古けいこ以外の場合にはまずない。したがって、演者が鑑賞者の存在や要望に敏感になるのは当然であるとも言える。

また、観客席のざわつきや静けさなど、鑑賞者によって、能の上演の際に上演舞台の雰囲気が左右されることもある。このように鑑賞者は、能にとっては重要な存在なのである。


鑑賞者の呼称

能の上演の鑑賞者は、通常、多くの演劇と同様に「観客」と呼ばれている。能には音響面も重要であることに注意すれば、厳密には「視聴者」などと呼ぶべきであろうが、慣習的にそのような呼称は用いない。

能の大成者の一人とも言われる世阿弥ぜあみは、鑑賞者に関して、「見所」という言葉を用いた。これは禅の言葉に由来すると推測されており、「観客」という具体的な人を指す言葉ではなく、「能を鑑賞する立場」とでも言うべき抽象的な概念であると考えられる。なお現在では、「見所」は、能楽堂のうがくどうなどの観客席を意味する言葉として用いられている。


鑑賞者と能の理解

現在の鑑賞者の要望・感想で多いものの例として、「能をわかりやすいものにしてほしい」「能のテンポは緩慢だ」ということが挙げられる。演者である能楽師はこれに応えようとするが、型や決まり事の多い古典芸能である能の演出を、そのような要望に応じて短期間に大きく変えることは難しい。したがって、たとえば、「わかりやすいものにしてほしい」という要望には、解説するという形で応じられることが多く、「テンポが緩慢だ」という感想に対しては、テンポがゆるやかであるものにも価値を見出すことができるような方向に鑑賞者を導くという形で応じられることが多くなる。能の構造は単純ではなく、歴史に培われた思想を伴っているため、鑑賞者は能を理解しようと努力するにつれて、能の違った面や奥深い世界が開けてくると感じることもあるだろう。

鑑賞講座などの解説が企画されてそれが鑑賞の参考にされることもあるが、そのほか鑑賞者に対して開かれている主な方法は、能の芸の教授(

稽古けいこをつけること)である。鑑賞者は、能という芸能を自ら表現することによって、さらに能に対する理解を深め、新しく価値や楽しさを見出すことがある。このような鑑賞者を、本コンテンツでは「能の愛好者のうのあいこうしゃ」と呼ぶ。