美濃樵夫

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

みののきこり


画題

画像(Open)


解説

前賢故実

sakBK01-0080-03_21.jpg

當耆郡人。親に対してこの上もない孝行をしていた。樵夫は、家が貧しくて薪を売って親を養っていた。酒を好む父のために、樵夫はよく瓠を提げて、市場を通る度に酒をおきのった。ある日、山中で薪を伐っている樵夫は、石を踏外してころげ落ちた。目覚めた樵夫は、酒の香りがあることに不思議に思い、岩石の間から飛瀑が落ちてくることに忽然と気づいた。その瀧の色が酒に似ていて、飲んでみたら馨しくて甘美な酒であった。樵夫は大歓び、その水を汲んで父に差上げた。霊亀三年九月、元正天皇は美濃行幸の際、御車が當耆郡を通るときに、酒の味がする泉を御覧になって、樵夫の孝行が天地を感動させたからだと思われた。それで、泉を養老の瀧と命名し、年号を養老に改元させた。樵夫は官職を授けられて、家が次第に裕福になり、益々親に孝行して尽した。

(『前賢故実』)