絵本太閤記

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総合

読本。七編。各十二巻十二冊。武内確斎作、岡田玉山画。初編寛政九年(1797)刊。大阪の版元は勝尾六兵衛、京都は菊屋喜兵衛、江戸は西村宗七。上方仕立ての絵本読本で、豊太閤の一代記である。


それまでに出版されていた数多くの太閤一代記関連の書物の記述を摘出して、挿絵を加え、読みやすいものとした。絵本という形式で『絵本三国志』というものがこれより先に出版されていたが、題材が秀吉であることも加わって、絵本という形式が流行するきっかけとなった作である。『絵本曽我物語』において、「大いに世に行はる」と説かれて、まさに出版の主導権が江戸に移ろうとする時流の中で、上方書肆の弗箱(どるばこ)となろうとしていた。本書の潜在的影響力は強く、『絵本太功記』という名で浄瑠璃が上演されたり、小説・草双紙にも本書に紹介された太閤記に関連する説話や場面が用いられたりと、上方のみならず江戸の読者にも共有される物語となっていった。しかし江戸で歌麿の『太閤五女花見之図』が絶版を命じられたあおりで、本書も文化元年(1804)に絶版を命じられる。のち、『絵本豊臣勲功記』などが出版されるようになり、本書は安政六年(1859)に再版、明治の太閤記ブームにのって数回刊行される。


【考察】

『絵本太閤記 下巻』「秀次公悪行」という章での挿絵(三〇六~三百七頁)で、男と女が布を引き合っている場面がみられる。これは「和漢百物語」の構図と同じものであり、『絵本太閤記』の流行から察して、確実にこれを真似て描かれたと思われる。この章では関白秀次が“明暮酒宴乱舞に日を過し”ている様子を描いており、“数多の女中小姓達を召寄せられ、謳ひつ舞うつ終夜、痛飲してあかし給ふ”とある。ルールなどは不明だが、絵から見ても宴会において主を楽しませるために布を引き合う遊びがあったのだと考えられる。主を楽しませるという点では、『絵本太閤記』も『和漢百物語』も共通である。挿絵には描かれていないが、章の最後には“鹿猿鳥類”の動物の肉を老僧に食べさせる場面がある。「酒呑童子」においては人の肉を食べるという話だったが、『絵本太閤記』の影響を受けて、『和漢百物語』も動物の肉を描いたのかもしれない。豊臣秀次は女狂いで酒乱の傾向にあった人物といわれている。「和漢百物語」は「絵本太閤記」秀次を酒呑童子に見立てたとする見方も可能なのではないだろうか。



<参考文献>

「絵本太閤記 下巻」有朋堂書店 大正6年

「日本古典文学大辞典 第一巻」岩波書店 1983年

「日本古典文学大事典」明治書院 平成10年