結城合戦

提供: ArtWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動

ゆうきがっせん


画題

画像(Open)


解説

東洋画題綜覧

永享十二年三月結城氏朝、足利持氏の遺子春王丸安王丸を擁し、下総の結城城に拠つて兵を起し管領上杉清方と戦ひ、決戦半ケ年に及んだが戦利あらず氏朝は戦死し春王安王は女装して一時落延びたが捕へられて美濃国垂井金蓮寺で誅せられ乱鎮まる、これを結城合戦といふ。

大将上杉兵庫頭清方向諸軍宣ひける、日本半国の勢が向て一城を攻兼て、当地にて数月不及合戦、且可為末代の恥辱、明日吉日なれば可有惣攻と相触、嘉吉元年四月十六日、辰の刻に打立、麾旗進兵ければ、如何成野心の者のしたりけん、城の櫓に火を放ち、時に大風吹落、屋形城中一宇も不残焼ける間、寄手乗機、追懸攻ける程に、引立たる者共なにかは溜るべき城の東の切岸田川に被追入、溺水者其数をしらず一日の合戦、籠る所の人々一人も不残討死す、惣大将安王春王殿をば越後勢の大将長尾因幡守虜申ける、則乗籠輿に御上洛とぞ聞えし其弟六歳にならせ給ふをば乳母潜に落し奉りけるを、伊佐の庄にて小山小四郎生捕申しける。  (永享記)

此の結城合戦を画いた物に次の作がある。

筆者未詳   『結城合戦絵巻』  大阪榎本正氏蔵

山田真山筆  『結城合戦』    第八回文展出品      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)