素盞嗚尊

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すさのおのみこと


画題

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解説

東洋画題綜覧

素盞嗚尊は伊弉諾尊の皇子、御母は伊弉冊尊、天照大神の御弟に在す、父母両尊国土経営の功其緒に就くに及び、天照大神に高天原、月夜見尊に滄海原、素盞嗚尊には天の下を統治せしめ給うた、所が素盞嗚尊は勇悍にして天下を治さず粗暴の御振舞多かつたので父母二尊大に之を憂ひ根の国に追放させ給うた、根の国は今の出雲地方といふ、尊は根の国に退くに当り一度天照大神に見えんものと高天原に赴かれたが海は暴れ山は轟き常で無いので大神は尊に異志あるのではないかと兵備を整へて之を俟ち給うたが尊に御異志が無かつたので大神の御心も解け給うた、然るに幾干もなく尊の行動は更に横暴となり大神の御田を害し、新嘗殿を毀ち大神の斎服殿を冒したりせられたので、大神は怒らせ給ひ、天の岩戸に隠れ給ふ、此に於て天地悉く暗く、邪神出没するに至る、諸神即ち相議して漸く大神の怒りを慰め岩戸より出し奉り、遂に尊を根の国に逐ふ、かくて尊は皇子五十猛の神を率ひて新羅国曽尸茂梨の地に至り、帰つて出雲に赴き簸の川上なる鳥上の峰に到り、足名椎手名椎二柱の神の為め高志なる八岐大蛇を亡ぼし、其女櫛名田姫を救ふ、此の時大蛇の尾より名剣を得た、これ私すべきものでないと大神に献じた、これが天叢雲剣で、後の草薙剣である、尊は櫛名田姫と婚し、宮を須賀の地に立てられて移り給うた、彼の有名なる、

八雲立つ出雲八重垣妻こめに八重垣つくるその八重垣を

といふ一首は此の時の御詠で、この歌が我が和歌の初めであるといふ、後遂に根の堅洲国に就き給うた。  (古事記、神代紀)

その大蛇退治は好個の画題として描かるゝもの多く、向島牛島神社には葛飾北斎の作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)