紀小弓宿祢

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きの おゆみのすくね


画題

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解説

前賢故実

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雄略天皇九年、小弓は帝の命を受けて、蘇我韓子、大伴談、紀小鹿火とともに、軍隊を率いて新羅征伐へ行くことになった。出発する前に、小弓は大伴室屋に頼んで帝に「赫々たる天威を賊に脅かせるものか。わたくしは怯弱な者だが、力を尽くして大義をやり遂げるつもりだ。ただ、妻が亡くなったばかりで、身の回りに世話をしてくれる人がいなくて、妾一人を連れて行くことをお許し願いたい。」と奏上した。帝は小弓のことを哀れに思い、采女大海を小弓に下賜した。小弓は新羅に入り、屠郡県を経て、都を逼ることになった。そこの王様が怖くなり、天皇の軍隊に勝てないとわかっているから、数百騎の兵を連れて城を捨てて逃げた。小弓は逃げた敵軍に追い着き、敵将を斬った。殘兵がなおさかんであるため、大伴談連は力闘して死んだ。大伴談連の家臣津麻呂も主君の死に殉じた。小弓は再び敵軍を撃破し敵地を平定した。その後、小弓は急病に襲われて軍中で薨じた。采女大海は小弓の喪に従って日本に帰った。そして室屋を通して帝に小弓の埋葬地を乞い願った。帝は「将軍は、身を万里に労して、三韓に命を落とした。あわれみめぐむべきだ。」と勅した。室屋は勅を承り、土師小鳥に墓を田身輪邑に造らせて葬らせた。

(『前賢故実』)