箱根霊験躄仇討

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享和1年(1801)8月。上演座は不明。

 現在人形浄瑠璃や歌舞伎で上演される「箱根霊験躄仇討」は、これらの実録をもとに、浄瑠璃・歌舞伎作者で、講釈師 でもあった司馬芝叟が浄瑠璃として脚色したものである。これはすぐに歌舞伎化され、同年(1801)九月、京都亀谷座で同じ外題で上演された。実録では本懐を遂げた後で初五郎が関ヶ原の戦に出陣、討ち死にす る記事があり、時代背景を生かしているのに対し「箱根霊験躄仇討」は、背景を伏見桃山城の築城のおりとして時や場所 をあいまいにしている。登場人物の名も、飯沼勘平を飯沼三平、加藤幸助を佐藤剛助(のちに滝口上野)、初五郎を勝五郎、九十九新左衛門の娘の名も歌世(かよ)とあったのを初花と改めており、後世にはこちらの名称の方がポピュラーとなった。またクライマックスの仇討ちも、勝五郎本人よりも、躄の夫を介抱し、仇の返り討ちに遭う初花の貞節が主軸に描かれ、「躄の仇討」といえば、初花が亡霊になってなお、滝に打たれて夫の仇討ちを成就させようと祈る場面がまず連想されて、伝奇的色彩を濃くしている。 (引用:『日本伝奇伝説大事典』 角川 昭和61)

この作品は、『伝奇作書』続編中の巻「箱根彦山霊験記の話」には

  箱根霊験躄仇討といへる浄瑠璃は司馬芝叟が作に旧は太閤起亡録といえへる実説の写本よりなれり

とある。これは、もともと実録本に伝えられたものと考えられる。

しかし、『太閤起亡録』は現在伝わっていない。『飯沼実録』、『飯沼敵討』『飯沼始末録』などと題される実録本には、大阪城築城の際、飯沼勘平が同僚加藤幸助に討たれる事件から、勘平の子供初五郎が八年間の苦労ののち、躄の身でありながら、神の力を得て箱根山中で敵討ちを果たし、その後初五郎は関ヶ原の戦に出陣、討ち死にするとなっている。 〈参考文献)

『伝奇作書』 市島謙吉 東京活版株式会社 明治三十九年

『日本説話伝説大事典』 志村有弘他 勉誠出版 平成十二年

『歌謡音曲集』 日本名著全集 昭和四年

『日本古典文学大事典 第五巻』 岩波書店 昭和五十八年

『名作歌舞伎全集』 山本二郎他 東京創元社 昭和四十六年