竹生島
総合
竹生島(ちくぶしま)
脇能物・龍神物
『竹生島縁起』などにより脚色された脇能。
演目解説
竹生島参詣を思い立ったある廷臣が琵琶湖畔に向う。そこで老人と女が乗った釣舟を見つけ同船し、琵琶湖の美しい春景色を眺めているうちに竹生島に着く。老人は廷臣を弁財天に案内しようとするが、女人禁制であるはずの竹生島に女も一緒について来る。それを老人に問うと、「島に祭る弁財天も女体の神なのだから、それは謂れを知らない者の言葉だろう」と答え竹生島の由来を語る。しばらくして、自分たちは人間ではないといって女は社檀の扉の向こうへ姿を消し、老人は湖の主であると言い波間に消えていった。
やがて、竹生島明神の社殿が鳴動し、光り輝く弁才天が姿を現し、天女之舞を舞う。また、金銀珠玉を持った竜神が湖上に現れ、廷臣にそれらを捧げ、勇ましい舞を舞い、国土の鎮護を約束し、再び姿を消した。
能絵 場面解説
画面左上の詞章には「光もかくやく金銀珠玉をかのまれ人に さゝくるけしき」と書かれているが、まさに、後シテ龍神が、ワキ廷臣に宝珠を授ける場面であり、ここは後場の眼目でもある。
本作では、笛座(正面から向かって右奥の笛方が座る位置付近)の位置から、少々変わったアングルで舞台をとらえている。主役たるべき、後シテが画面の最前面に描かれるのではなく、ツレ弁財天、ワキツレの廷臣の奥に配置することになってしまうが、シテとワキによる宝珠の授与よりも、ワキに向かって走るシテの動的な姿を描き出すことに主眼を置いたのではなかろうか。
後シテは、黒髭の面も気迫に満ち、なびく赤頭とともにスピード感までもが感じられる。ちくぶしま
画題
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解説
画題辞典
一。竹生島は近江国琵琶湖上の一島嶼なり、周囲一里餘島上林木欝蒼として怪岩奇石の屹立するあり、水光山色自然の美を茲に萃む、その間に辨財天の祠あり、都久夫須麻神社という、その傍には観音堂あり、西国巡礼三十番の札所となす、亦東海の一名所として図せらるゝ所少しとせず、
古くは土佐光信筆竹生島祭図(東京帝室博物館所蔵)あり、近年に於ても文展に川村曼舟の「竹生島」あり、院展に横山大観の「雲去来」あり。
二。皇后宮亮但馬守平経正は幼少より詩歌管絃の道に長ぜられし人なり、平維盛源氏征討の大将軍となり、東国下向の途に上るや、経正副将軍として之に従ひ、近江を過りて、獨り竹生島参詣を思い立ち、舟を艤して之に渡り社殿に一夜の参籠を遂げ、居待の月を中空に仰ぎて琵琶を取り、上玄石上の秘曲を弾じたり、明神も感応にや堪り、経正余りの忝しけなさに、「千早ふる神に祈りのかなへはや しろくも色の現はれにけり」、この逸事は大和絵歴史画の上に屡々図せらるゝ所とす。三。謡曲にも「竹生島」の一曲あり、竹生島詣の両人の舟にて島に渡り、明神の出現に会い給ふことを作れり。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
竹生島は琵琶湖の北部にある、浅井郡竹生村に属し竹生村早崎の西五十町の水心で北は菅浦(伊香郡永原村)の葛籠尾崎を去る十八町島形菱の実の如く、南北に長く凡廿一町、東西程短い、一座の岩嶼で東面に小港を開き、其上に都久夫須磨神社及び仏閣僧房がある、此島断崖削立、神工鬼斧の趣きがあり、樹草鬱蒼として湖光山色に映り風景絶佳、長浜へ四里、今津へ三里、大津へ十六里、竹生島の縁起は古人種々の異を説く、神社考に云。
竹生島者、在江州湖中、其巌石多水精宝珠、本朝五奇異之一也、伝曰、孝霊天皇四年、江州地坼、湖水始湛、駿州富士山忽出焉、景行天皇十年、湖中竹生島初涌出云、昔行基菩薩来此島時、神女現形逢基、其初建寺、置弁財天女像此所謂卣閻提中、有湖海中、有水精輪山、即天女所住也、是曰大弁才功徳天女、本地法身大士、而好楽音、故名妙音天女、垂迹于此、因号竹生島大明神。
而して神社啓蒙俗誌弁に至つては竹生島神は宇賀御魂神と説く、然し帝王編年色葉字類鈔に拠り浅井比咩と云ふ地主神を禁るとする方正しとすべく、浅井比咩は土俗虎御前と称する神であらうと。 (大日本地名辞書)
竹生島は風光絶佳なので、近江八景以外に山水画として画かるゝもの極めて多い、左に現代の画人に拠つて画かれたものゝ中、主なもの二三を挙げる。
横山大観筆 『雲去来』 大観作品集所載
西山翠嶂筆 昭和十一年文展出品
宇田荻邨筆 第十三回帝展出品
川村曼舟筆 第十回文展出品
謡曲に『竹生島』がある、氏信の作で、延喜の聖代に仕へる臣の竹生島に詣で、竹生島明神の出現にあひ夜遊の舞楽を聴くといふ筋である。前シテ漁翁、ツレ嫗、後シテ竜神、ツレ天女、ワキ臣下である。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)