空也

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くうや


画題

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解説

画題辞典

空也は天台宗の僧なり、京都の人。幼にして尾張国分寺に入り、自ら空也と称す。遊歴を好み、天下の名山殆んど至らざるなく、過ぐる所道路を修め、橋梁を架し、廃寺を越し、或は井戸を穿つ、特に奥羽二州の教化には最も力むる所あり。天慶二年京都に入り、行閙の間に勧めて弥陀号を唱えしむ、時人、市上人と呼ぶ。天暦二年叡山に登り、延昌に受戒し、光勝と改名す。五年京都疫病あり、死者算なきを見るや、惻然志を立て、自ら高さ十一尺の十一面観音の像を刻みて之に祈り。洛東に寺を建てゝ安置す、六波羅密寺是れなり。天祿三年九月十五日寂す、寿七十、後世空也上人と呼び、其の命日には、空也忌営まれ、空也念仏行わる。尚、その条を見るべし。大倉集古館所蔵に室町時代の空也上人画像あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)