祗王祗女

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ぎおうぎじょ


画題

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解説

画題辞典

祗王祗女は京堀川の白拍子なり。母疾あり、日に石清水観音に祈りしを、平清盛途に之を見て之を召し、母子三人西八条殿に入り寵遇を蒙る。其後清盛仏御前(ほとけごぜん)を得るに及び寵衰ふ、祗王即ち殿障に、「萌出るも枯るゝも同じ野辺の草、何れか秋にあはではつべき」の歌を認め、三人相携えて出で嵯峨に隠る。仏之を憐み再び召さしむ、召命再三にし至らず、仏病あるに及び強て之を召し疾を慰めしむ、その時祗王往いて舞ひ今様を唄うて曰く「仏(ほとけ)も元は凡夫なり、凡夫も終には仏なり、共に仏性具せる身の隔つるのみこそ悲しけれ」聴くもの涙を流さざるはなし。祗王終に母妹と共に尼となり、庵を嵯峨野に結ぶ、祗王廿一、祗女十九なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)