石橋
しゃっきよう
総合
しゃっきょう。
能の曲目。
寂昭法師が天竺に渡り、文殊菩薩が住む清涼山にやってくる。石橋を渡ろうとうすると、樵夫に止められる。この橋は巾は一尺にも満たず、苔で滑りやすい。下は千丈の谷底であって、人間の渡れる橋ではないというのだ。ここでしばらく奇瑞を待つほうがよいと教えられる。
やがて菩薩に使える霊獣の獅子が出現し、山一面の紅白の牡丹に戯れつつ豪壮な舞を舞うのであった。
江戸期の歌舞伎舞踊に大きな影響を与えている。しゃっきょう
画題
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解説
(分類:戯曲)
画題辞典
石橋は支那天台山にある石の橋なり、橋上苔滑かにして稍もすれば転ぜんとす、両岸に断崖削るが如く、その橋下は数千丈の深潭にて、その附近に獅子の住むと称へらるゝ神秘的の境なり、天台大師始めて登山の時、是に一宿し羅漢と会すという、我が寂昭大師も此を訪ひし時、渡らんと欲して、その危険を恐れ屡々躊躇越りと伝へらる、謡曲「石橋」には寂昭大師入唐して此地に至り、獅子舞の奇特に会せしことを叙せり、能に於ける獅子の狂ひ舞は最も世に普及し、通例石橋といへば赤頭白頭の獅子の狂ひ舞を画くを習となす。
(『画題辞典』斎藤隆三)
東洋画題綜覧
石橋は支那天台山にある石の橋で、橋上苔滑かにして稍々もすれば転び落ちやうとするし両岸は断崖千仞削るが如く、橋下は数千丈の深潭であり、此の附近獅子よく出でゝ遊ぶと、『元亨釈書』には『天台山に石橋あり、広さ尺に満たず長さ数歩其下数千丈あり、天台大師始めて登山の時、この橋に一宿す、羅漢現じて将来を示す』などとある、我が寂昭大師も訪うたことがある。
謡曲に『石橋』がある、元雅の作、寂昭大師即ち大江定基が入唐し此の石橋に獅子舞の奇特に逢つたことを作り、又舞踊では白頭赤頭の獅子の舞を画いてゐる。
「なほ/\橋のいはれ委しく御物語候へ、「夫れ天地開闢の此方、雨露を降して国土を渡る、是れすなはち天の浮橋ともいへり、「其外国土世界に於て橋の名所さま/゙\にして、「水波の難をのがれ、万民富める世を渡るも、すなはち橋の徳とかや、「然るに此石橋と申すは、人間の渡せる橋にあらず、おのれと出現して、つづける石の橋なれば、石橋と名を名付けたり、其面わづかに尺よりは狭うして、苔甚だ滑かなり、其長さ三丈余、谷のそくばく深きこと千丈余に及べり、上には滝の糸、雲より懸けて、下は泥梨も白波の、音は嵐にひゞき合ひて、山河震動し雨塊を動かせり、橋のけしきを見渡せば、雲にそびゆる粧ひの、たとへば夕陽の雨の後に虹をなせる姿、又弓をひける形なり、遥かに臨んで谷を見れば「足冷ましく肝消え、すゝんで渡る人もなし、神変仏力にあらずば、誰か此橋を渡るべき。 (謡曲石橋)
能画として『石橋』を画けるものに、橋本永邦筆(第十七回院展出品)がある。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)