百丈禪師

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ひゃくじょうぜんし


画題

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解説

画題辞典

百丈禪師。名は懐海、支部福州長楽の人、姓は王氏、幼にして蘆江縣浮槎寺の経蔵に入り、数年間を出でずして三乗を學びしが、馬祖道一禪師が化を南康に行すと聞きて之に赴き、侍すること二十年に及ぶ、一日道一に参禪せるに、道一遽に禪床の側にある拂子を取る、懐海問うて曰く、速に此用に即するか此用に離するかと、道一即ち又拂子を舊處に收む、面して起立之を久うす、両して曰く、汝は其後兩片皮を開いて何を以てか人の為になすやと、懐海亦道一と同じく拂子を以て起つ、道一曰く此用に即するか此用に離するかと、懐海又拂子を舊處に収めんとす、是時道一大喝一声す、懐海其の大喝の下に大悟し、耳為めに三日の間聾ぜりといふ、是より懐海の名大に振ひ、洪州の新呉界大雄山に請ぜられ住せり、其の山高きが故に百丈の名を得たり、懐海此に至りて一月ならざるに、参玄の學者禪徒雲の如くに集來し、禪林の規則を設けて之を卒ゐたりといふ、是れ後世禪林の起因なりとす、法を希運、霊祐の二人高弟に伝へ、唐の憲宗の元和九年正月十七日、九十五歳を以て寂す、唐穆宗之に大智の諡称を賜ふ。顔輝の筆禪師像(根津嘉一郎氏所蔵)あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)