田原藤太秀郷
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たはらとうたひでさと
画題
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解説
画題辞典
藤原秀郷、田原藤太と称す、藤原村雄の子、驍勇にして籌略あり、天慶四年平将門の下総に叛するや、秀郷下野椽押領使たり、陽に将門に応じて至りて謁を通ず、その時将門将に髪を梳りしが、大に喜び結束に及ばずして出でて迎ふ、秀郷その挙措の軽跳なるを見て大事を成すの人にあらずとし、平貞盛と協力して之を討つて破り、その乱を平く、世に秀郷の逸話として伝ふる所、蜈蚣退治の怪譚あり、琵琶湖の龍神常に三上山の大蜈蚣の為めに迫害を受け其の眷属多く害に遭ふ、是に於て秀郷の武勇を聴き、之を退治せんことを秀郷に請ふ、秀郷即ち比良の山に二千の松明一時に輝かすが如き光を顕するものを見て矢鏃に唾を付して射て之を倒し以て龍神の急を救ふ、龍神大に感謝し、絹一巻鎧一組、俵一個、鐘一個を献ずという、古く童話として人口に膾炙する所なり、
之を画くもの京都廣隆寺に土佐行長筆の絵巻、黒谷光明寺に土佐光信筆の絵巻あり。
(『画題辞典』斎藤隆三)