王仁

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わに


画題

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解説

前賢故実

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王仁と阿直岐が百済の人。初めては、百済王阿花が失礼なことをしたため、応神天皇が百済王の領地を削った。百済王が怖くなり、謝罪のつもりで息子の阿直岐を遣わして良馬を貢いだ。阿直岐が経典に詳しい人であるため、天皇は皇子の稚郎子を阿直岐について勉強させた。さらに、阿直岐は天皇に博士の王仁を推薦した。天皇は王仁を徴用することにした。翌年、百済王阿花は、論語および諸書を王仁に附けて献上した。まもなく阿花王が亡くなり、天皇は阿直岐に百済の王位を継がせ、削られた領地をも返してあげた。天皇が薨去した後、皇太子が兄の大鷦鷯の才徳を知っているため、位を大鷦鷯に譲ろうとしたが、大鷦鷯に固辞された。譲合って三年の月日が過ぎ、皇太子はついに自殺した。群臣が大鷦鷯に即位を勧めたが、聞入れてもらえなかった。日本にいる年月の長い王仁は、日本語に通じるので、梅花の歌を作って献上した。それで、大鷦鷯尊はやっと承諾して下さって即位することになった。

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

(『前賢故実』)