玄弉三蔵

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げんじょうさんぞう


画題

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解説

東洋画題綜覧

玄弉は唐、河南洛陽の人、俗姓は陳氏、母は張氏、幼名を褘といふ、兄、長捷法師に誘導され、東都の浄土寺に到り始めて仏教を聞き、尋いで法師に就き『涅槃』『摂大乗論』等を学んだ、然るに偶『起信論』を読み真如縁起の説において疑を抱き遠く印度に遊び仏典を究めやうと志し、太宗皇帝の貞観三年上表したが許されず、因て竟に国を脱し玉関を出で支那土耳其斯坦から中央亜細亜に入り、南下して北印度を通過し、同七年中印度に至り、更に王舎城に入り那蘭陀寺で戒賢論師に遇ひ、瑜珈唯識の二宗を学び、同十九年を以て支那に帰つた、言語風俗、殆んど梵僧のやうであつた、帝命じて洛陽の弘福寺において訳経せしめ、更に玉華の慶福殿に住せしめ益々翻経に努めしめた、師訳するところ精詳にして玄理を尽くす、ここに於てか訳経に新旧の別を生じ羅什、真諦の所訳に対してこれをば新訳と称した、麟徳元年二月五日、寿六十五にして寂す、帝哀悼し、ために朝を輟めること三日に及んだといふ、玄弉三蔵といふのは尊称で、三蔵は経律論の三蔵に通達し、且つこれを訳する人を尊ぶ名称に用ひるからである。  (仏教辞林)

元弉三蔵を画いたものでは、横浜原家に蔵する行脚姿の像最も有名であり、近くは川崎小虎に『西天求法』(第七回帝展出品)がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)