独道中五十三駅

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ひとりたびごじゅうさんつぎ

鶴屋南北(四世)作。文政十年(1827年)閏年六月六日初日(紋付番による「歌舞伎年代記続編」は六月三日とする)、江戸河原崎座で上演した夏狂言。南北七十三歳の作。 尾上菊五郎がさまざまな役に扮してほとんどの場面に出てくることから、「独道中」と名題を付けたのではないかといわれている。


構成は以下のとおり。


発端初幕

京都三条大橋の場

紫宸殿雛祭の場

石山寺道中双六の場

野路の玉川の場


序幕

京都三条大橋の場

鈴ヶ山中生贄の場

関の地蔵堂開帳の場

亀山城下歒打の場

庄野より四日市の場

桒名船中の場


二幕

三州池鯉鮒八ツ橋村の場

同岡崎宿八はぎの場

遠州秋葉山絶頂の場


三幕

日坂入山津村の場

小夜の中山夜泣石の場

同 無間の鐘の場

金谷宿・嶋田宿 大井川の場


四幕

岡部宿松並木の場

鞠子在古寺の場

同 猫石怪異の場

府中二丁町の場

三保浦浄瑠理の場


五幕目

沼津芝居の場

千貫樋(せんかんどい)の場

地獄盆踊の場

箱根山中(やまなか)の場

金剛院別荘の場


第二番目

序幕

鈴ヶ森の場


また、世界の扱い方にも特徴が見られる。東海道五十三次を舞台面に応用するという趣向はこの作が初めてで、その頃としてはまったく奇想天外な発想だった。 同時に、この作品には数多くの他作品の要素を取り入れている。主なものとして、『恋女房染分手綱』『亀山の仇討』『権八小紫』『お半長右衛門』『白石噺』などの世界を利用し、これに『東海道中膝栗毛』をかぶせ、趣向に桑名屋敷・日本駄右衛門・猫石の精などを取っている。


この作品は、翌年をはじめとして多く再演されている。以下系統を記した。


『初春五十三駅(うめのはつはるごじゅうさんつぎ)』

天保六年(1835年)二月、市村座で上演。名題を「初春五十三駅」と改め、四代目中村重助、三升屋二三治、五代目鶴屋南北が補作する。春狂言だけに、背景を曽我にして、中心となる盗賊の役名を稲葉幸蔵とした。


『尾上梅寿一代噺(おのえきくごろういちだいばなし)』

弘化四年(1847年)七月、市村座で上演。尾上菊五郎(三世)が江戸の舞台を引退するというので、一世一代の銘をうって上演された。補作者は三代目桜田治助、三代目並木五瓶、清水正七、松島陽助、梅沢宗二等。 大筋は、「初春五十三駅」により、それに「羅漢」の妖術、「天竺徳兵衛」の妖術、「死神」などを加え、さらに白井権八のからむ「犬神」の趣向、また権八の立ち腹(立って腹を切ること)なども書き加えた作。


『吾嬬下五十三駅(あづまくだりごじゅうさんつぎ)』

安政八年(1854年)八月、河原座上演。二代目河竹新七(黙阿弥)作。四代目市川小団次主演。


『花摘籠五十三駅(はながたみごじゅうさんつぎ)』

万延元年(1860年)五月守田座上演。三代目桜田治助作。内容としては「伊賀越」と「御堂前の仇討」を合併させたもので、五十三駅といっても特殊な駅路の背景は少なかった。しかし三代目市川小団次の立腹は「尾上梅寿一代噺」を受け継ぐ。


『東駅いろは日記(とうかいどういろはにっき)』

文久元年(1861年)七月市村座上演。二代目河竹新七(黙阿弥)作。内容は義士の東下りで、南北物とは縁遠いが、十三代目市村羽左兵衛門(のちの五代目尾上菊五郎)の「古寺の猫」は系統を受け継ぐ。


『千歳鶴東入双六(ちとせのつるえどいりすごろく)』

明治元年(1868年)二月中村座上演。三代目瀬川如皐作。


『東海奇談音兒館(とうかいきだんのこまたやしき)』

明治四年(1871年)九月中村座上演。三代目瀬川如皐作。五代目尾上菊五郎主演。


『五十三駅扇宿附(ごじゅうさんつぎおおぎのしゅくづけ)』

明治二十年(1887年)七月中村座上演。二代目河竹新七(黙阿弥)作。五代目尾上菊五郎主演。





参考文献

  • 『鶴屋南北全集 第十二巻』 竹紫愬太郎編 1974年 三一書房
  • 『鶴屋南北怪談狂言集』日本戯曲全集 第五一巻 渥美清太郎編 1928年 春陽堂