狩場明神

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かりばみょうじん


画題

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解説

画題辞典

狩場明神は紀州高野山の地主神にして、丹生都比女神社の異名なり。弘法大師高野を開く時、此神出現して犬となり大師を導き給うという。今昔物語に曰く、「今は昔、大師老に臨み給ふ程に、我唐にて擲げし所の三鈷落たらん所を尋ねんと思いて、弘仁七年大和国宇智郡に至り一人の猟師に会ぬ。形面赤くして長八尺許なり、青色の小袖を着せり、骨高く筋太し、弓箭を以て身に帯し、大小二つの黒き犬を具せり。此人大師を見て曰く、我は是南山の犬飼なり、三鈷の所を知れりとて、犬を放ち走らしむるの間、犬も人も忽失せぬ。大師それより紀伊国大河の辺に宿しぬ、此に一人の山人に会い、問い給う程に、此より南に平原沢あり是此所也と、相具して行く間密に語て曰く、我は此山の主也、速に此領地奉る可しと山の中百町計入ぬ、山の中は正しく鉢を伏せたる如くにて廻に峯々立登り、檜の謂む方なく大なる竹の様に生並たり、其中の檜の上に三鈷被打立、 是即大師禅定の霊峯と知れぬ。彼山人丹生明神となむ申す、犬飼をば高野明神となむ申ず云々。」之を画けるもの高野山金剛峯寺所蔵一点、同龍光院所蔵一点あり、何れも国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

狩場明神は紀州高野山の地主神で、丹生都比女神の異名、弘法大師高野山を開く時、明神出現し犬の姿となつて大師を導く、これ高野山縁起に載するところ、又、『今昔物語』にも現はれてゐる。

今は昔、大師老に臨み給ふ程に、我唐にて擲げし所の三鈷落たらん所を尋ねんと思ひて弘仁七年大和国宇智郡に至り、一人の猟師に会ぬ、形面赤くして長八尺許なり、青色の小袖を着せり、骨高く筋太し、弓箭を以て身に帯し大小二つの黒き犬を具せり、此人大師を見て曰く、我は是れ南山の犬飼たり、三鈷の所を知れりとて、犬を放ち走らしむるの間、犬も人も忽失せぬ、大師それより紀伊国大河の辺に宿しぬ、此に一人の山人に会ひ、問ひ給ふ程に此より南に平原沢あり、是此の所也、と、相具して行く間、密に語て曰く、我は此山の主也、速に此の領地奉るべしと山の中百町計入ぬ、山の中は正しく鉢を伏せたる如くにて廻に峰々立登り、桧の謂はむ方なく大なる竹の様に生並たり、其中の桧の上に三鈷被打立、是即大師禅定の霊峰と知れぬ、彼山人丹生明神となむ申す、犬飼をば高野明神となむ申す、云々。

これを画けるもの

国宝狩場明神像     高野山金剛峰寺蔵

同           同  伝光院蔵

同 弘法大師絵伝の中  池田成彬氏蔵

現代では安田靫彦、岩田正己に其作がある。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)