牽牛織女

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けんぎゅうしょくじょ


画題

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解説

(分類:中国)

画題辞典

織女牽牛、共に星の名なり。織女は天帝の姫君にして、容姿端麗、銀河の東に居り機業を職とし、雲霧紫色絹縑の衣を織るという。天帝其の労苦多くして歓楽少きを憐れみ、浄河西の牽牛星に嫁せしむ。然るに織女一たび嫁してより、管絃に耽りて再び機織に励まず、天帝之を怒り、爾来二星の相見るの時を一年一度となし、七月七日を以てせしめ、銀河を以て隔て、烏鵲橋を以て僅にその通路となす。世に七夕祭は此二星一年一度の歓楽を祀るなり、画に於ては牛を牽く男を以て牽牛星を顕わし、唐服して機織る女を以て織女星を表わす。

野村仁清の筆に此図あり。尚「たなばた」(七夕)「しちせきせんこう」(七夕穿孔)の条参照すべし。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

牽牛織女、共に星の名、牽牛星和名彦屋、又犬飼星、この星を支那では牛を牽く農人にたとへて呼ぶ、鷲星座の星であり、織女星は琴星座の星である、支那では此の星を以て天女の孫というてゐる、『焦林大斗記』に曰く、『天河之西有星、煌々与参倶出、謂之牽牛、天河之東有星、微々在氐之下謂之織女』と、『述異記』に拠ると天河之東の織女年々雲霧綃縑の衣を織り辛苦多くして悦無く容貌を整理するの暇も無い、天帝之を憐み、河西の牽牛に嫁せしめたが、以来機抒の事を顧みず、唯歓を貪るのみであつたから天帝怒て天河に於て一年一度相会せしむるに至つたと、陰暦七月七日夜に当るので、七夕と呼ぶのである。たなばた「七夕」の項参照。

牽牛織女を画いた作

狩野探幽筆  中竜田姫牽牛織女三幅対  中山貞市氏旧蔵

橋本雅邦筆               波多野古渓氏旧蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)