照葉狂言
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てりはきょうげん
画題
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解説
東洋画題綜覧
能狂言から出たもので、てには狂言ともいふ、照葉といふ女が始めてこれを演じたので此の名があると、芝居の振をも交へて、舞ふと、
嘉永の比、大阪の蕩子等四五輩相議て始て行之、其行は申楽家の間の狂言と云る物を大体とし衣服にも素袍上下等を用ひ、又狂言師の大筋織の服乃ち古の熨斗目也、看之俳優のさまも倣之言語も擬之而て往々当世の踊り及び芝居狂言又は俄狂言に似たることをも交へ行ふ、安政に至り江戸に下り諸所の寄せ席へ銭を募り行之て群集あり、追考「てりは」はてには俄狂言の訛略と云へり、天爾波と云ふこと和歌にあることなり。 (守貞漫稿三十二)
徳川時代に於ける風俗の一として画材となる。
(『東洋画題綜覧』金井紫雲)