為永春水

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総合

ためながしゅんすい

本名:鷦鷯(佐々木)貞高

寛政2(1790)年〜天保13(1843)年

人情本、読本、合巻作者。

二世南杣笑楚満人、狂訓亭、金竜山人、人情翁、三鷺、二世振鷺亭など

経歴

前半生の経歴は不明。文化末頃から書肆青林堂を経営するが、戯作者を志して、振鷺亭・柳亭種彦・式亭三馬らに入門。 文政2年(1829)年に処女作『明烏後正夢』初編を出版。文政十年頃には戯作者としての地位を獲得するが、合作や謝礼と引き換えに草稿を手に入れ、出版していたものが多い。

文政3年、火災で青林堂を失った春水は、独立する必要性に迫られ、苦心の末『初色梅児誉美』を発表。この好評により、一躍第一線に躍り出る。以降次々と作品を発表していくが、あまりに多くの注文がくるため、それぞれの作品をを独力で完成させることが不可能となり、再び合作を開始する。『初色梅児誉美』によって春水は読本や草草紙の影響から脱却、人情本というジャンルを確立した。

天保期は人情本の元祖を名乗り、天保期に全盛期を迎えたが、天保の改革で手鎖の刑に処せられる。 天保14年12月22日に没した。

講談師伊藤燕晋に入門し、為永正輔、為永金竜の名で寄席に出たこともあったらしい。 春水の人情本の流れは、明治時代にも続くものである。

代表作『初色梅児誉美』『春色辰巳園』『春色恵の花』ほか多数

参考文献

  • 浮世絵辞典
  • 日本近世人名辞典
  • 日本文学大事典
  • 江戸文学辞典