澤庵和尚

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たくあんおしょう


画題

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解説

画題辞典

澤庵、名は宗彭、東海、暮翁、冥子と号す、但馬の人、幼にして出家し、初め浄土を學び、後禅に入る、会々葷甫の但馬に遊ぶに参会し、その京に帰るに及び随伴して大徳寺に抵りて錫を掛け、又泉南大安寺に公仁を訪ひ、一衲冬を凌ぎ、一葛夏を度る、慶長十一年推されて大徳寺第一座となる、幾くもなく大和和泉に赴く、元和四年正隠の大徳寺住持となるや、江戸幕府その開堂に違法ありとして之を責む、澤庵玉室と共に江戸に下り、幕府有司と極論す、為めに罪を獲て出羽上の山に流さる、已にして九年赦されて帰り、将軍の命に応じて城内に宗旨を説き称ふ所あり、之より将軍家の恩遇甚だ厚し、寛永十五年品川に東海寺を結びて開祖となり、又屡々京都に赴き上皇に召されて法を宮中に説き、正保二年十二月十一日歳七十三を以て寂す、道俗皆弔慰す、澤庵和歌に秀で又茶道に委しく斯道に於て亦尊ばる、

堺祥雲寺に肖像一点あり、国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)