源順

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みなもとのしたごう


画題

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解説

画題辞典

源順は王朝の文學者なり、詩文を能くし兼ねて和歌に達し、三十六歌仙の一人に数へらる、又天暦五年大中臣能宜等と共に勅を奉じ、後撰和歌集を撰し、梨壺五人の一人に数へらる、藤原伊尹撰和歌所別當となりし時、天皇勅旨を手書して賜ふ、その時順制詞を作ろ、中に雄劒在腰、抜則秋霜三尺、雌黄自口、吟又寒玉一声の一句あり、時人之を稱す、又己れが官途の沈滞を憂悶し、同族源融が奢侈を憤り河原院の賦を作る。彊呉減今有荊蕀、姑蘇之臺露瀼々、暴秦衰兮無虎狼、咸陽之烟片々、永観元年年七十三を以て卒す。藤原信實画く所の像、東京帝室博物館にあり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

前賢故実

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(『前賢故実』)

東洋画題綜覧

平安朝に於ける歌人、字を具璾と呼び、挙の子、能く詩文に長ず、天暦五年村上天皇、順及び大中臣能宣、清原元輔、坂上望城に勅し昭陽舎に於て後撰和歌集を撰ばしめた、世これを梨壷五歌仙といふ、後、進士に第し勘解由判官に任じ応和天元の間、民部大亟、下総権守を歴て能登守に遷る、曽て河原院賦を作り源融の奢侈を諷して曰く

彊呉滅兮有荊蕀、姑蘇台之露瀼々、暴秦衰兮無虎狼、咸陽官之煙片々。

と文観元年卒す年七十三、勤子内親王の為め『和名類聚抄』を著して名宇内に聞ゆ。

源順を画けるもの左の如し。

藤原信実筆  三十六歌仙残欠  佐竹家旧蔵

無款     源順像      東京帝室博物館蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)