満珠干珠

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しおみつるたましおひるたま


画題

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解説

画題辞典

満珠干珠は潮の干満を支配する珠にして、龍宮城の宝物と伝ふる所なり。伝へて曰く、神功皇后三韓征伐の時、諸神を鹿島に集めて評定す、その時磯良というもの獨り到らず因って神楽を奏せるに、磯良始めて到る、曰く「予九海に入りて年久しく魚類と雑居して風貌甚だ陋、故に到らざりしも、今神楽の音に導かれて来るのみ」と、是に因って満珠干珠を磯良に求む、磯良即ち龍宮に入り之を求めて来りて献ず。皇后黄石公の兵書と共に之を身に体して三韓に渡る、三韓の兵海上に防ぐを見るや、干珠を投じて干潟とし、その兵の船を下るや、満珠を投じて満潮とし、遂に敵兵を溺死せしめたりという。凱旋の後この二珠を紀州日前の宮に納むという、古伝説の一として画かるゝ所あり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

満珠干珠〈しほみつたましほひのたま〉は共に竜宮城の宝物で、満珠を捧ぐる時は、潮忽ち満ち、干珠を手にする時は、潮即ち干るといふ、彦火々出見命、海津宮に到りましし時、海神、命に捧ぐるといふ。

海神乃ち彦火々出見尊を延きて、従容語して曰く、天孫若し郷に還らんと欲せば、吾れまさに送り奉るべし、便ち得る所の鉤を授る、因りて誨へまつりて曰く、此の鉤を以て汝の兄に与へたまふ時に、則ち陰に此の鉤を呼びて、貧鉤と曰ひて然して後に与へたまへ、復た潮満瓊及潮涸瓊を授りて誨へまつりて曰く、潮満瓊をつけば則ち潮忽ち満たん、此を以て汝の兄を没溺らせ、若し兄悔いて祈まば、還つて潮涸瓊を漬けば、則ち潮自ら涸む、此を以て救ひたまへ、かくなやまし給はゞ則ち汝の兄自ら伏ひなん。  (日本書紀)

神代の伝説としてよく画かる、なほ、ひこほほでみのみこと「彦火火出見尊」の項参照。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)