浄瑠璃姫墳

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じょうるりひめのつか

西矢矧左の方、はたけの中にあり。むかし矢矧の宿の長が娘、美艶の女伶なりしが、平家の盛衰を十二段に作り諷ふ。薬師の十二神将に比すれば、浄瑠璃御前と呼ぶ。今の世の浄瑠璃の始なり。又此里に誓願時といふ浄土宗の寺あり。こゝに浄るり姫の像・義経の像あり。寺説に云く、九郎判官吾妻下の時、こゝに宿し、此姫と愛し給ふとぞ。


※浄瑠璃姫が平家の盛衰を十二段に作るというのは、近松門左衛門作の浄瑠璃『源義経将棋経』第一、矢矧の宿で見られる記述である。


それよりやはぎのわたりして、妙大寺。むかしの浄瑠璃御前跡、松のみ残て、東海道の名残、命こそながめ侍つれ。今は岡崎といふ。 (『宋長手記』岡崎の欄(大永七年(1527)三月))


引用)

・原田幹『東海道名所図会』、人物往来社、昭42

・島津忠雄校注『宋長手記』、岩波書店、昭和50