江間小次郎

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北条義時のこと。 1163~1224(長寛1~元仁1)鎌倉幕府の執権。時政の嫡子で,幼名を江間小四郎と言った。源頼朝の挙兵に際して父とともにこれに従い,比企能員や畠山重忠の誅滅にも軍功をあげ,1205年(元久2),時政の後妻牧の方の陰謀によって時政が失脚したあと2代目の執権になった。1213年(建保1)に侍所別当和田義盛を滅ぼし,侍所別当の職をも兼帯し幕府政治を実際上に左右する実力者にのし上がった。1219年(承久1),源実朝暗殺によって源氏の血統が3代で滅びた後は姉政子とともに幕政を握り,京都から九条道家の子三寅(頼経)を将軍に迎えて北条氏専制の基礎を築き上げるのに成功。1221年,後鳥羽上皇の討幕計画をキャッチし,先手をうってこれを京都に攻め京都を占領して上皇方に打撃を与えた。後鳥羽上皇を隠岐に流し,六波羅探題を設置し,さらに朝廷方の所領を没収して新補地頭を置き,幕府権力をゆるぎないものにしたのである。 (国史大辞典)