江戸時代の寝具について

提供: ArtWiki
移動: 案内検索

総合

現在につながる寝具が生まれたのは江戸時代である。
江戸時代に入って、掛けるものを夜着、敷くものは蒲団というようになった。
夜着とは襟袖がある、形は衣服に似て大きな、今でいう掛け布団の役割を果たしていた。夜着は「おひえ」や「北のもの」と呼ばれていたが、元禄以後には上掛け夜具の一般的名称と化していた。
上方では元禄頃から夜着ではなく掛け布団が使われるようになったが、江戸では幕末までほとんど使われなかった。 16世紀の後半から「夜着・蒲団」という中世以前にはなかった寝具の名称があらわれた。
『好色一代男』から天和二年(1682年)のころには、少なくとも夜着やフトンの名が一般庶民にも親しみ深いものとなっていることがわかる。夜着やフトンは木綿の国内生産の向上がもたらして出来たものである。
しかし、木綿は高級品で、明治になってからもお金を出し合って蒲団を買うための蒲団講や蒲団頼母子などがあったほど、庶民にとっては高嶺の花であった。そこで蒲団の代わりに紙の寝具が使われていた。また、江戸時代、人々の憧れる最上の贅沢に、重ね蒲団や三つ蒲団という、蒲団を敷き重ねることがあった。これより、蒲団はかなりの高級品で、人々にとって贅沢であったことがわかる。


ここで、源頼光と土蜘蛛退治について描かれた作品を見ていく。
まず、この発表のテーマ作品である、「源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」の寝具は
・蒲団のように木綿が入ったふっくらとした感じはない
・枕も庶民的
・蒲団や枕の柄も派手ではない

これは『北斎画式』や「来宵蜘蛛線芝居番付」も同様のことが言える。
『北斎画式』においては、源頼光が病鉢巻をしていない点も共通している。


しかし、これに対して、「源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」の題材である「和漢準源氏 薄雲」の寝具は
・木綿蒲団のようにふっくらとした感じ
・枕も庶民的でない
・蒲団や枕の柄が派手

これは、『和漢百物語 源頼光朝臣』や「源頼光公土蜘作妖怪図」も同様のことが言える。


つまり、寝具・更には病鉢巻をしていない点においては「源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」の題材である「和漢準源氏 薄雲」ではなく、「北斎画式」との共通が見られる。また、前期の発表で取り上げた「白藤源太」でも芳年は北斎の影響を受けている点が見られた。


これより、「源頼光土蜘蛛ヲ切ル図」は「和漢準源氏 薄雲」だけでなく、「北斎画式」の影響を受けている可能性が高い。 更には、源頼光の身分を考えると、「和漢準源氏 薄雲」に描かれていた蒲団のように、ふっくらとした木綿蒲団が描かれていてもおかしくはないはずである。これより、芳年が源頼光に自分を重ね合わせて描いた可能性も見られるのではないだろうか。








<参考文献>
小泉和子『家具と室内意匠の文化史』法政大学出版局 1979年
小川光暘『寝所と寝具の文化史』雄山閣出版 1984年
遠藤武『原色浮世絵大百科事典 第5巻』大修館書店 1980年