毛受勝介

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めんじゅかつすけ


画題

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解説

東洋画題綜覧

毛受勝介は柴田勝家の臣、もとの名は照景、尾張の人、十二歳にして勝家に仕へ小姓頭となり累進して一万石を食む、勝介母に仕ヘて至孝、長島の役に勝介十七にして勝家に従ひ、出陣す、会々敵兵勝家の馬印を奪ふ、勝介敵中に乱入し之を奪ひ返し之を兵に托し再び進撃した、勝家その功を賞し勝家の二字を授けて名を家照、字を勝介と改めさせた、天正十一年賎ケ嶽の戦に勝家敗れて死せんとするや勝介之を諌め、自ら勝家の金の馬印を掲げ勝家と名乗つて奮戦す、敵将筒井順慶の臣島左近これを見て怪しみ、勝家は齢六旬を超ゆと聞く、必ず身替りであらうと自ら名乗りをあげて之と戦ふ、勝介名乗らずして遂に死す、時に年二十五、秀吉之を聞きて嘆賞し北荘城陥るに及び、勝介の母及家来を召し物を賜ひ之を弔つた。 (野史)

勝介敵兵の中に乱入して馬印を奪返すところ武者絵としてよく画かる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)