橘良基

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たちばなの よしもと


画題

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解説

前賢故実

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諸兄の子孫。幼い頃より学問に熱心で、国の政治制度に精通、清廉且つ公正な人柄であった。五カ国の国守を歴任し、よく民に農事を励行させ、租税の軽減を計ったりしたため、国内の人口が増え、家々に余分な食糧があるようになったという。天下を治めるには政治が最も重要だ、と思っている良基は時々従来の慣習に拘らず、進んで新しいことをしようとした。それに、良基は強引に無理を通すところがあり、人に屈さないので、よくないと思うことがあれば、相手が官吏であっても容赦しなかった。仁和中亡くなり、享年六十三歳。そのとき、良基の家には余財がなく、中納言の在原行平から絹布を贈ってきたため、ようやく葬式を挙げた。良基は、身を清く保ち世俗に染まらないようと、常に子供たちに教えていた。息子の在公が国を治める要領について良基に聞いた際、良基は「百術があっても、一清に及ばない」と答えた。このことから分かるように、良基は節操を堅く守っていた。

(『前賢故実』)