松永大膳

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松永大膳久秀

【出典・モデル】

戦国時代の武将松永弾正久秀(?~1577年)がモデル。永禄8年(1565年)に足利将軍義輝を殺害し母慶寿院を自害に追い込んだこと、ならびに天正5年(1577年)に信貴山城に立て篭もり自刃して果てたことに取材した作品。

松永弾正は主君三好義興を毒殺し、奈良東大寺の大仏殿を焼き払い、戦場に美女数人を引き連れ紙帳の中で戯れたとも伝えられる人物。大和の国(奈良県)に信貴山城、多聞城を築城。多聞城を訪ねた宣教師アルメイダは、「柱の上下を金色の真鍮で包み、中央は金色の薔薇で飾り(略)襖には金色で絵を描き」と報告している。信貴山城には天守閣として四階の櫓があり、三重の高殿を持つ金閣寺に見立てられた。



参考文献 『歌舞伎登場人物事典』古井戸秀夫編 白水社 平成18年