来宵蜘蛛線

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総合

天保8年(1837年)に中村座の顔見世狂言『勧善懲悪四天王顔鑑』の一番目六立目の大詰に上演される。常盤津。
『蜘蛛絲梓弦』を基にした作品で、現在の「蜘蛛の糸」の原拠と言われている作品である。


○『来宵蜘蛛線』と『蜘蛛絲梓弦』との比較
『来宵蜘蛛線』と『蜘蛛絲梓弦』との最大の違いは『来宵蜘蛛線』には百物語の趣向が取り入れられていることである。
頼光の館で宿直をする渡辺綱と坂田金時が眠気を覚ますために百物語をしていると、切禿の童がお茶を持って登場する。赤貝馬の所作事になって切禿は正体を顕わして頼光の寝所を狙うが、渡辺綱・坂田金時に遮られて消える。次に、渡辺綱・坂田金時が碁を打ち始めると仙台台頭が現れる。仙台台頭は仙台浄瑠璃を語って頼光の寝所に入ろうとするが、また渡辺綱・坂田金時に阻まれる。その後、吃の又平による下総話の田舎踊りや、太鼓持ち鈍八の羅生門の語り、若衆の文使いと奥女中呉竹・綱手と3人の色模様を見せ、その後、河童の豆腐買いから三つ目の見越し入道へと次々と妖怪が現れるが、渡辺綱・坂田金時に阻まれ、姿を消してゆく。
病で付している頼光はけわしく目を覚まし、枕元にあった鬼切丸に手を掛けるが、そこに居たのが傾城薄雲だと気づきほっとする。しかし、この傾城は頼光の恋人千鳥の前の亡霊であり、頼光を憑り殺そうとする。そこに源家の宝刀の鬼切丸がおのづと飛んで亡霊を追い払い、亡霊は消え去る。すると土蜘蛛の精が現れ、最後は神鏡の力によって四天王に見顕されることとなる。


この『来宵蜘蛛線』はその後改訂版が上演され、『名作歌舞伎全集19巻』に載っている『蜘蛛の絲(来宵蜘蛛線が名題)』は百物語の趣向の方が濃厚となり、座頭駒市、吃の又平、太鼓持ちの鈍八、若衆駒之丞・紀ノ助、御用松次、傾城薄雲が入れ替わり立ち替わり頼光の寝所をうかがうというものである。そして最後は鬼切丸の威徳によって妖怪たちも消える、というものである。
『蜘蛛絲梓弦』の原型をほとんどとどめないほどに改訂されてしまっている。


『名作歌舞伎全集19巻』に載っている改訂された『蜘蛛の絲』に土蜘蛛は登場するが、登場の仕方よくわからない。また、蜘蛛切丸ではなく鬼切丸だったことも不思議な所である。



その後中村座で上演された『来宵蜘蛛線』を再び改訂した作品で、現行曲とされているのが『蜘蛛絲宿直噺』である。『蜘蛛絲宿直噺』は『来宵蜘蛛線』や『蜘蛛の絲』と少し内容を変化し、傾城薄雲や切禿の童などの妖怪が変化しては現れて消えるが、座頭に変化の正体を顕した土蜘蛛の精となって千筋の糸を繰り出す。この作品の方が、従来の『土蜘蛛』の内容をも取り入れている。これは河竹黙阿弥作の『土蜘』の影響を受けているものと思われる。


<参考文献>
『名作歌舞伎全集 19巻』東京創元社 1970年
山崎泉『市川左団次の『蔦絲蜘蛛振舞』について』「日本大学 語文 82号』1992年