李郭仙舟

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りくわくせんしう


画題

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解説

画題辞典

後漢の郭太、字は林宗、大原郡界休縣の人なり、家貧なるも博く典籍に通じ、談論を善くす、洛陽に遊び、河南の尹李膺に会ふや、膺大に之を奇とし、遂に相友とし、名京師に震ふに至る、後郷里に歸る時、諸儒送りて河上に至る。車数千兩あり。林宗唯膺と同舟して済る、賓客之を望み、神仙河に上ると評したりとや。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

支那漢代の碩学郭林宗が、河南の尹李膺と同舟して川を渡るの図、郭泰、字は林宗、介休の人で博く典籍に通じ家にあつて門人に教ふ、弟子数千人、天下に景慕せらる、洛陽に遊んで河南の尹李膺と交りを結び、親しく往来した、後、林宗、故郷に帰らうとした時、これを見送る舟車数千に及んだが、郭泰は唯李と同舟したばかりで川を渉つて往つた、霊帝の建寧二年に死す。      

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)