本朝二十四孝

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「本朝二十四孝」

作者:近松半二

通称「廿四孝」「八重垣姫」。


「本朝二十四孝」の基本情報

明和03年(1766年)01.14 大阪竹本座 浄瑠璃が上演される

明和06年(1769年)03 京都の北座 歌舞伎上演



近松半二、三好松洛、竹本三郎兵衛作。並木五兵衛、河竹文治、その他十六名以上によって脚色されている。 明和三年(1766)五月、大坂・三桝座で初演。信玄と謙信の確執を素材に、斉藤道三の足利将軍暗殺、山本勘助の出仕、信玄嫡子勝頼と謙信息女の八重垣姫との恋を絡ませ、さらに諏訪湖の白狐伝説などを廿四孝の説話に取り入れて描かれている。 元々は近松門左衛門作の浄瑠璃「信州川中島合戦」を母体として脚色された作品。

参考:野島寿三郎『歌舞伎・浄瑠璃外題事典』1991年7月22日 日外アソシエーツ




梗概:

大序「足利館大広間の段」

足利義晴の愛妾賤の方に子供ができ、御祝いに北条相模守氏時、越後の城主長尾影勝その他の大小名が訪れる。その席で氏時は信玄と謙信の不和を指摘し、謙信の子影勝は「武田の諏訪法性の兜を返さないことから起こった確執である」と説明する。義晴の北の方は影勝の妹八重垣姫と信玄の子の勝頼を結婚させ、両家の不和を解消するように言い渡す。


初段「足利館奥御殿の段」

直江山城守と賤の方が不義者として手打ちにされそうになるが、実は北の方への義理を立てる為の賤の方による虚構であることが分かり義晴に許される。そこへ西国の武士が義晴に鉄砲を献上したいと現れるが、実演と偽って義晴を撃ち、義晴は死んでしまう。義晴を殺した犯人は逃げ、日頃上洛を怠っていた信玄と謙信が疑われる。そこで二人はそれぞれ三年以内に犯人が見つからなければ子の首を差し出すことを約束する。一方、直江と本当の不義の相手である八つ橋は直江の主人である謙信に許され、館を去る。


二段「諏訪明神百度石の段」

車遣いの蓑作が神前の力石に腰掛けたことで仲間に難癖を付けられるが、そこへ現れた板垣兵部に助けられ、その後同行することになる。夕暮れ時になると武田に仕える濡衣が参拝に現れ横蔵と出会う。濡衣と分かれた後、横蔵は賽銭と謙信の奉納した太刀を盗み、現場を見つけた落合藤馬の首を落とす。そこへ現れた影勝に捕まるが、赦免され影勝と別れた後、車遣いの男たちに力石の件で難癖をつけられる。しかし横蔵は難なく力石を持ち上げてみせ、石の下から現れた謎の老人から蓑を受け取り再会の約束をする。


武田信玄館の段

掃除をする家臣が二人で武田館の騒動を噂している。 村上義清上使の段 勝頼切腹の時が迫り、母常磐井御前と濡衣が身代わりの到着を待つ。


勝頼切腹の段

身代わりが間に合わず、常磐井御前は濡衣と勝頼を逃そうとするが、村上義清に見つかり勝頼は切腹してしまう。丁度入れ替わりに身代わりの蓑作を連れて戻ってきた板垣兵部は間に合わなかったことを知り愕然とするが、蓑作が訳を知って逃げようとするのを追って切ろうとする。そこへ現れた信玄が板垣を切って蓑作を助け、実は勝頼は板垣の息子で蓑作が信玄の本当の子であることと、それは板垣が我が子を国主にしようと企んで行ったことだということを告げる。濡衣は自刃しようとするが板垣がそれを止めて自分に突き刺し、濡衣に諏訪法性の兜の奪還を託す。そして蓑作は正体を隠したまま義晴を暗殺した犯人を捜すために旅立ち、濡衣も信濃へ向う。


三段目

桔梗ヶ原の場

甲斐と越後の国境で、信玄と謙信各々の家来が馬草を刈る場所の境目をめぐり言い争いをしている。そこへ高坂弾正の妻唐織と越名弾正の妻の入江が現れ喧嘩をやめさせる。しかし、今度はこの両人が言い争いを始め入江が唐織を負かす。 場面が変わり、信州筑摩郡に住む慈悲蔵が登場する。孝行者の慈悲蔵はあの郭巨のように、二つか三つの子供を抱いて母への孝行のために雪の降る中へ捨てていく。そこへ現れた高坂弾正がこの子供を見つけ、子供の小袖に付いている札に「甲州の住人山本勘助」と書いてあるのを見る。山本勘助が優れた軍者なのを知っていた高坂は、彼の者を味方にすれば主人の信玄公に良い土産となると子供を連れ帰ろうとするが、突然現れた越名弾正に領分を理由に止められ、子供の取り合いになる。しかし、最後は子供をあやすことができた唐織(高坂側)が子供を引き取る。


景勝下駄の段

慈悲蔵の家では妻のお種が、(慈悲蔵の兄)横蔵の子次郎吉の子守をしていた。そこへ慈悲蔵が家に戻るが、実は慈悲蔵は横蔵の言いつけで我が子峰松を雪の中に捨てに行って来たのだった。そしてお種に本当の事を言わず、良い家に養子にやったと言う。慈悲蔵の母は山本勘助という優れた軍師の妻で、夫の亡き後「山本勘助」の名を継ぐに相応しいのは兄妹のどちらか見定めるまでの間、その名を預かっている。母は今まで家を離れ、他国にいた慈悲蔵をよく思わず、孝行をしたいのなら、裏の竹林で筍を採って来いと言い、冷たく接する。この二人のやり取りをずっと見ていた長尾三郎景勝は老母が落とした駒下駄を拾って差し出し、景勝をただ者ではないと見抜いた老母は慈悲蔵を退室させる。その後景勝は素性を明らかにし、山本の子息を召し抱えたいと言って、兄の横蔵を望む。老母は承知し、約束に違えば自らの首を差し出すと言い景勝と別れる。


勘助住家の場

横蔵が家に戻ると老母は慈悲蔵の時と打って変わって甲斐甲斐しく世話をして甘やかす。そこへ「山本勘助に用事があり、武田信玄只今これへ」と1人の侍が門口で告げる。家の者たちは皆いぶかしがり、横蔵は寝たふりをする。高坂の妻唐織が幼子を抱いて現れ、「甲斐の国で養うからは最早一国の世継(=信玄公)、慈悲蔵を軍術の達人と聞いて抱えにきた」と言う。慈悲蔵は断ろうとするが、唐織は峰松が実母の乳以外を受け付けず、弱ってきていることを告げ、お種を惑わせる。老母は「子を餌にするような汚い信玄に奉公しては武士が立つまい、名を継ぐ気がなければ勝手にせよ」と慈悲蔵に言い捨て障子を閉ざす。その言葉を受けて慈悲蔵はきっぱりと奉公を断るが、唐織は雪の中へ峰松を置き去りにし、味方になるのを承知するまでたとえ凍え死のうがこのままにすると言い残して去る。慈悲蔵はお種を制し、思いを振り切って盂蘭の竹林へ筍を捜しに行く。お種は次郎吉をあやしながらも、外の峰松の泣き声を聞いて必死に閉ざされた戸を開けようとし、とうとう戸を壊して外へ出る。お種が我が子を抱きしめたのを確認した唐織は、これで慈悲蔵はこちらの味方と、勇み帰る。お種が戸惑っていると、突然懐剣が飛んで来て、それに貫かれた峰松は絶命し、同時に横蔵が現れて次郎吉を抱いて奥へ入る。お種は横蔵の仕業に違いないと、復讐に燃えて奥の間へ向かう。

場面が変わって、雪の竹林で慈悲蔵が筍を捜している。見つからず困っていると、白い鳩が数羽集まっているのを見つける。兵器が地にある時は鳥が群れをなすという教えを思い出し、もしや父山本勘助の秘密の巻がこの下にあるのでは、と掘り始めると、そこへ横蔵が現れて、二人で秘書の巻を巡って争い始める。そこへ老母が登場し、二人を制して雪中より筍(秘書の巻)を見つけ出した慈悲蔵を褒める。そしてその後、横蔵に良い主を取らせると言って、景勝から賜った白装束を前に置く。横蔵がどういうことかと尋ねると、老母は横蔵を景勝の身代わり首として差し出すのだと告げ、切腹を迫る。横蔵は逃げようとするが、慈悲蔵の投げた手裏剣が足に当たって倒れる。もうこれまでと、突然横蔵は右目を刀で抉り、これで容姿が変わり身代わりにはなれないと言った後、今日より父の苗字を継ぎ山本勘助春義となることを宣言し、直江山城守種継に出てくるように言う。すると慈悲蔵が上下大小で登場し、横蔵のような目を失ってまで命を長らえようとする勇士を殺しては、と謙信に仕える事を勧める。横蔵はそれをあざ笑って、自分が主とするのは足利十三代の公達松寿君であると言い、そこへ次郎吉を抱いた唐織が現れ、それをみた山城親子は驚き恐れ入る。続いて横蔵は、以前信玄が密かに訪ねて来て、その時に主従の契約をしていた事、その後都へ上がった時に義晴公暗殺の騒動に立ち合った事、さらに源氏の白旗を隠し、義晴公の子を宿した賤の方を密かに匿っていた事を告げる。横蔵は、賤の方が珊瑚に亡くなってしまったため、残された子を我が子と偽って育てさせていたのだった。老母は息子二人の孝に感じ入り、軍法伝授の巻を与える。横蔵は山本勘助の名を告げられれば十分と、弟直江にその巻をゆずり、二人は各々の主の下でいずれ戦を交える事を宣言する。


四段目

道行似合の女夫丸

蓑作と濡衣は二人で薬売りに身をやつして、旅を続けている。


謙信館景勝上使の段

謙信は手弱女御前の上使である景勝自身に、何故自分の首を討つのをいつまでも引き延ばしているのかと詰め寄られ、答えに窮する。それを見た景勝は、ならばここで切腹しようと指添に手をかけるが、花守関兵衛に止められる。そして関兵衛は、首は切ったら生えないがこの白菊は切っても生けられると理屈を述べ、それを聞いた謙信はその文句を気に入り白菊を所望する。そこで関兵衛は花作りとして蓑作を紹介し、謙信はその顔を見て勝頼だと気づくが、知らぬふりをして召し抱え、衣服大小を与える。


鉄砲渡しの段

蓑作と景勝が去った後、関兵衛と謙信は蓑作が勝頼だと言う事を話し合う。そして、それを見出した関兵衛を見込んでと、謙信は義晴暗殺に使われた鉄砲を渡し、それを扱える者を探し、犯人を見つけるように頼む。


十種香の段

蓑作が着替えて出てくると、一間に八重垣姫が引きこもって床に勝頼の絵をかけお経をあげており、他方では濡衣も夫の弔いに手を合わせていた。二人を眺め不憫さに涙する蓑作であったが、蓑作に気づいた濡衣に声をかけられ、謙信に召し抱えられた旨を説明する。夫を思い出し泣く濡衣の声を聞いて、姫がそっと襖の隙間から眺めると、勝頼と瓜二つの蓑作がそこにいる。姫は驚いて少し躊躇うが、一間を走り出て蓑作に縋り付く。蓑作は知らぬふりをして別人であると言い姫に冷たく接するが、姫は挫けずに濡衣に仲立ちを頼む。濡衣はその言葉が本当であれば、諏訪法性の兜を盗んで誓紙にするように言うが、姫はその言葉でやはり勝頼本人であると確信し、打ち明けるように蓑作に言うが、蓑作は尚も冷たくあしらう。姫は傷つき、別人に言い寄ったとあれば勝頼様に申し訳がないと、殺すように言うが、その様子に濡衣もとうとう蓑作が勝頼であることを打ち明け、蓑作と姫はお互いに抱き合う。その後、謙信が蓑作を呼びつけ、塩尻へ使いに行くように言いつけ、蓑作は塩尻へ向かう。それを見送った後、謙信は家来を呼び、蓑作の後を追って討ち取るよう命じる。謙信らのやりとりを見ていた姫は不審に思い、何事かと尋ねると、謙信は先ほどの諏訪法性の兜を盗むという企みを聞いていたため、蓑作を使いにやり帰りに討ち取ろうと追っ手をやったのだと言う。姫は助けてくれるよう頼むが聞き入れられず、謙信は武田の回し者として濡衣を引き立てて奥へ去って行く。


奥庭狐火の段

姫はなんとかして蓑作に追っ手のことを知らせようとするが、諏訪湖には氷が張って船が出せずなす術がない。後は奥庭に祀られている諏訪法性の兜に縋るしかないと、兜を手に取ると湖に映る自分の顔が狐に変わる。驚いて兜を放し、湖を覗き込むといつもの自分の顔が映る。再び兜を手に取るとやはり狐の姿。これは諏訪明神の使いの狐が兜を勝頼に返せということだと考え、八重垣姫は狐の加護を得て、凍った湖を渡る決心をする。狐憑きとなった八重垣姫の周りには狐火が現れ、兜に導かれるように彼女は湖を渡って行く。

場面が変わり、関兵衛が手弱女御前の様子を窺って鉄砲で狙いを付けて撃つ。その音を合図にあちこちから雑兵が出て来て立ち回りとなる。


道三最期の段

すると、「美濃国住人斎藤道三止まれ」と呼ぶ声がし、正体を見破られた道三が驚いて声の主を尋ねると、景勝、勝頼に続いて山本勘助が悠然と現れ、謀反人の詮議を行なうと言い渡す。道三は少しも臆せず、謀反人の詮議とは誰の詮議としらを切るが、勘助は蓑を取り出し、諏訪明神の力石の下から現れた老人が道三であったこと、また、蓑をよこすときに道三の詠んだ歌からそれが分かった事を告げる。道三はそれを受けて、先祖の恨みから義晴を殺し、手弱女も手にかけた事を認めるが、尚も足利の世継ぎ松寿丸を渡すように言う。勘助は松寿丸を屋敷に招いたというのは虚言であったと告げ、さらに、道三の撃った女の首を投げ渡す。道三がその首を見てみると、道三の娘濡衣であった。道三は自分の計謀が完全に挫かれたことを知り、矢を自分の腹に突き刺して最期に北条氏時の城の攻略法を武田・長尾双方に教えてそのまま自害する。その後兜は武田に戻され、勝頼らの婚儀も成立し、両将とも今に名を残すこととなった。


(歌舞伎との違い)

道三を討ち取ろうとするところを景勝と勝頼が、濡衣の供養のためと討つべき敵は北条氏時だという理由から道三を見逃し、戦場での再会を宣言するというもの。

これは大詰の必要上、例の通り「また再会は戦場にて」方々さらば、という形を取っているから、ということだ。しかし、これは江戸に限って事で、京都大阪では本文通りに上演したらしい。


『日本戯曲全集第二十八巻』渥美清太郎 春陽堂 一九二八年七月二十二日

立命館大学ARC日本文学電子テキスト[1] 閲覧日2010/11/15