木庵

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もくあん


画題

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解説

東洋画題綜覧

黄檗山第二世、俗姓呉氏、明の泉州晋江の人、天資英敏にして気貌雄偉、上唇に両牙があり、郷人は達磨子と称した、年甫めて十五、父母に死別し祖母蘇氏に養はれ、十九の年開元寺印明和尚に就いて出家し、廿五歳にして禅宗に帰し諸耆宿を歴訪し隠元禅師の門に在つて盛誉あり、隠元の我が国に来朝した翌年、即ち明暦元年召されて長崎に着し、尋で摂津に到る、寛文の初、隠元を助けて宇治黄檗山の開創に力を致し同四年九月年五十四にして法席を嗣ぐ、延宝二年十二月二壇大戒を開く、緇素之を受くるもの挙げて数ふべからず、貞享元年二月二十日入寂、閲世七十四、法臘五十六、法を嗣ぐもの五十余人、信濃の象山、美作の千年、伊豆の高勝、三河の永福の諸寺皆崇敬して開祖とした。  (国史大辞典)

長崎聖福寺に喜多元規の筆になる画像を蔵してゐる。

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)