日本橋

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にほんばし


画題

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解説

東洋画題綜覧

東京名所の一で、現在の日本橋は明治四十一年五月起工、四十四年四月三日の竣工でルネサンス式であり、この橋の中心を以て全国里程の元標としてゐる、慶長年間初めて架せられたものといふ。

日本橋、南北に架す、長凡二十八間、南の橋詰西の方に御高札を建らる、欄檻宝葱珠の銘に万治元年戊戌造立と鐫す、此の橋を日本橋といふは旭日東海を出づるを親しく見る故に、しか号るなりといへり、事跡合考に云、日本橋のかゝりしは慶長十七年の後歟とありて其考を記せり、されど北条五代記永楽銭制禁の事を記せし条下に、慶長十一年のとし極月八日、武州江戸日本橋に高札を建るとある時は慶長十七年より以前なりしとしるべし、此地は江戸の中央にして、諸方への行程を此所より定めしむ、橋上の往来は貴となく賎となく絡繹として間断なし、又橋下を漕つどふ魚船の出入、旦より暮に至る迄嗷々として囂し、北の橋詰を室町一丁目と号く、此町の巽角を尼店といふは尼崎屋又右衛門拝領の町屋なるゆゑに略してかくよびならはせり、此所は漆器の類ひ、すべて旅の具、および荷馬の装束をあきなふ廛多し、其西に横小路を品川町裏河岸と号く、釘鉄物の店多き故に釘店といふ又東の河岸を船町といふ、魚家あり日毎に市を立る。  (江戸名所図会)

     日本橋     山崎闇斎

自是太平無事客、東関行尽幾山川、武江城上慶雲静、日本橋頭人気煽、翠帯紅衣常絡繹、玉鞍金轡毎駢聞、相如題柱知何意、富貴従来元在天。

日本橋は江戸随一の名所として画かるゝもの極めて多いが、一立斎広重の作殊に聞ゆ。

東海道五十三次の中      保永堂判

東都名所の中 『日本橋魚市』 万吉判

江都名所の中         佐野喜判

東都名所中  『日本橋の図』 中短冊

江戸名所   『日本橋』   仁野花判

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)