揚げ代

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遊女の揚げ代は、もちろん遊女の階級によってピンキリであった。 寛永十九(1642)年の『あづま物語』によると当時の揚げ代は、太夫三五匁、格子二五匁、端(局)二〇匁が相場だったとある。これは昼と夜に分けたときの各値段である。さらに、元禄十四(1701)年刊の『傾城色三味線』にある「遊女名寄」などによれば、吉原の太夫七四匁(昼夜に分け各三五匁を元禄に三七匁に値上げ)、格子五二匁(昼夜各二六匁)、端切り五匁、三匁その也あり、となっている。

太夫の値段は現在で言うと、1700年頃の三五匁は約42000円ほど、七四匁は約89000円ほどであると思われる。 また、これは遊女の揚げ代だけの話であり、実際に遊ぶとなると、さらにおごりの飲食代、茶屋はたご屋の支払い、祝儀代などを支払わなければならず、遊興費の総額は結局揚げ代の何倍にもなるのが当たり前であった。


出典

内田保廣「馬琴と権八小紫」『近世文芸』日本近世文学会 笠間書院 1978

石(米)・両(金)・匁(銀)・文(銭)・円レート換算スクリプト(最終閲覧2011/06/21) (http://www.kuu-kikaku.jp/rekishi/ryou-mon-rate.html

日本銀行金融研究所貨幣博物館(最終閲覧2011/0621) (http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/index.htm