提婆達多

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だいばだった


画題

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解説

画題辞典

提婆逹多は印度斛飯王の子にして釈尊の従兄弟なり、或は善覺長者の子なりという、釈尊成道の後、出家して弟子となる、されども仏の威勢勝れたるを嫉み、五百の衆を率ゐて別立し阿闍王と結び、仏を亡ぼさんと企てゝ成らず、阿闍王の改悔するに及び煩悶して病死す、仏伝に拠れば生きながら堕獄せるものなりという、釈尊は豫言して未来に天王如来たるべしといへりとぞ、法華経提婆品はこのことを記せるものなり。

武蔵総持寺にその像一点あり、国宝なり。

(『画題辞典』斎藤隆三)

東洋画題綜覧

提婆達多は又提婆達兜、或は調婆達ともいふ。天熱と訳す。その生るゝ時、まさに成長して三逆を行ふべきものなので、人天等の衆心ためにみな驚熱す、この訳ある所以である、また天授とも訳される。白飯王これを天に請うて得た故である、阿難の兄で釈尊と生誕の日を同じうす、往昔定光仏の時、釈尊、達多と共に珍宝仙人に就て修行す、仙人に一女耶若達なるものがあつて之が婿とならうとしたが、女の釈尊に嫁するに及んで大に怒り、誓て曰く、未来常にこれを悩まさうと、この因縁により生々仏の怨敵となつた、『入大乗論』には達多を賓伽羅菩薩とし、又、或は仏を逆害しやうとして悪毒を指爪に入れ仏前に進んだ、時に大地裂け大火起つて持に阿鼻地獄に堕ちやうとした時一称南無仏の功徳によつて一大劫の後、四王天に生じ遂に第六天に到り六十劫にして辟支仏になつたと説いてゐる。悪虐右の如くであるが釈尊は、これ我が過去の善知識で未来無量劫の後には天王如来たるべしといはれた。  (仏教辞林)

提婆達多像 (国宝)  鶴見総持寺蔵

(『東洋画題綜覧』金井紫雲)